いふことを朝になつて知らされた。
片方の三角の柱の格子からは、門を出入する人々の姿が見降せる、仰いでも、此方は薄暗いから、その上、チラ/\する格子を透しては中の様子は解らぬ。私は験しに下に降りて仰いで見たけれど、若しあの中に住む者があれば、囚はれ人か盗人の昼寝の洞にふさはしい――と思はれた。片方に仁王の肩中を屏風として、金網に囲まれ、そしてこの格子の下に机を据えたならば、実に私が人に秘れてもくろんでゐる規模雄大なローマンスの筆を執るには世にも適当な仕事部屋であると、深く吾意を得た次第である。
私が、あの河岸の丘の部屋にゐると、それとなく桐渡やその部下の者が訪れて来て、東京へ赴くのは何時か、何日か、私は直ぐにも貴君がこゝを空け渡すと聞いて、既に貴君の母堂から借用してしまつたのであるが一体、そのローマンスとやらは何時になつたら出来上がるのか――などゝいふ風に、それでも私の気嫌を正面から苛立たせてしまつては、いろいろと不首尾の事情があるもので、適度に讒諂の笑みを含めて云ひ寄るのであつたが、さうと気づけば、私も仲々さる者であつて、どつこい、その手に易々と乗る者でもなかつた。
桐渡達は、人里を遠く離れた丘の家を根城として、仁王門掠奪の議を回らせたり、車座となつて丁半の博奕を打つたりしたいばかりで、私の出立を急いでゐるのであつたが、さうなると私は寧ろ陰気な興味が起つて来て、わざと、夜昼の別をとり違へて、ぎろつとして、彼等の酒盛りの部屋の前を往行したり、また、私が寝台にもぐつてゐるのを見届けて、そろそろと悪事の相談会を開かうとすると、突然私の大きな咳ばらひにおどかされて、散会させられたりしてしまふのであつた。
さつきもさつき私がハムモツクの上で、うと/\してゐると、彼等の仲間が様子を窺ひに来て、
「御散策にでもお出かけかと思つたら、斯んなところでおやすみですか、お仕事の方は如何ですか、お部屋が大分綺麗に片づいて居りますな。御出発のお手伝ひなら、私共にお命じなさいませんか。」
などゝ云ふのであつた。
「なあに僕は――」
と私は故意に飄々と云ふのであつた。何故なら彼等は、夙に私を目して風来的な素質に富んだ詩人と断定して、私が吐く言葉は決して他の心根を蔵さぬものと信じてゐた。「行かうと思へば、このまゝ、ぶらりと――誰に、何の挨拶もなく行つてしまふよ。あまり天気が好いので、今、それを考へてゐたところさ。」
全く彼等との敵対行為は私に幾分の興味を呼び起してはゐたが、そんな気分にばかり関はり合つてゐると、つい、それも面白くなつて容易に仕事に手が出さうもなかつたから、一層舟をつかまへて、このまゝ出発してしまはうかとも考へてゐたのである。
「それは/\!」
と彼等は思はず乗り出して、蔵する限りの愛嬌わらひを浮べた。「何しろ私達、畑違ひの者がいろ/\と出入りしては、御気分に触つて大事なお仕事の方が留守にでもなるでせうからな、私達も、もう、そればかりが心配で心配で恰もハレモノにでもさわるやうな思ひで、はら/\してゐるんですもの。」
「僕も、いつまで愚図々々しては居れんのさ、構想も、もう充分となつたから、仕事は都のアパートにでも行つて……」
「待つてゐますよ。先生の本が出ましたら、私達にも屹度読ませて下さいね。――楽しみだな。先生がこれから何んな立派な小説をお書きになるかと思ふと、私達はもう今から胸がぞくぞくしてまゐりますよ。」
私のそれ[#「それ」に傍点]は時代を遠く戦乱の世にかりた伝奇小説ではあるものゝ、巻中に出没する多くの悪党共は、悉く奴等の姿をありのまゝ描破して、秘かに作者たる私が積年の鬱憤を晴さうといふ仕組みであつた。就中私は、それ自らが豪勇無比な荒武者となつて、従横無尽に花々しい筆端の刃を揮つて、群がる者共を手玉にとつて薙ぎ倒し、こばから首をちよん切つて、さしもの竜巻村に平和の風を吹かせるといふ、痛快至極な冒険譚であることを知らずに、彼等は、左う云ふと、一様に恍惚の眼を細めて深々と息を吸ひ込んだ。
「出かけたくなつたぞ。」
私は、何か深い思惑でもあり気に、凝つと雲の彼方を睨めながら重々しく唸つた。すると、彼等は私の気分に逆ふことを、暴君の下僕のやうに怖れて、
「然し、そのまゝの姿でも、まさか出発は出来ぬでせう。なんなら今直ぐにでもお召物の用意を致しますが……」
「着物は、矢の倉に預けてある――新調の背広が一ト揃ひ――」
「ほゝう――さすがにお手回しのほどは万端行きとゞいてゐるんだな。何でも先生は、業々しい出発の騒ぎなどゝいふありふれた習慣は、きついお嫌ひの由で、何でもその日の風の向き次第、御気分の帆のあがり次第、時刻も関はず出発してしまふといふのが常々からのお心掛けのさうだが、さすが詩人だ、偉い変り振りだ――と皆なもうそれを聞いて
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