ンは気分でも悪いのかしら?」
 三木は、困惑の色を露はにして情なささうに青木に訊ねた。
「女主人の口笛を聞かなければ動き出さないのだらう。ともかくドリアンは、雪子には、他人には想像しがたい範囲で慣れてゐるんだから、その眼前に主人がゐなくても、やはり主人の命を待つてゐるといふほどの忠実な馬なんだよ。」
「困つたな!」
 三木は思はず歎息を洩して空を仰いだ。と、もう向方の小山のあたりへまでも達した時分である筈の雪子は、直ぐ傍らの樹蔭に隠れてゐたのであつた。彼女は、三木に気づかれぬやうに息を殺して、そちらを目がけて堅い蜜柑を力一杯投げつけた。それはドリアンの胴腹にあたつた。――すると馬は軽いいななきをあげて、矢庭に丘を駆け降りはじめた。三木は、がくりとして思はずドリアンのたてがみ[#「たてがみ」に傍点]にしがみついた。

     四

 ドリアンは、悠やかなうねりを持つた坂道を、下の桑畑までまつしぐらに駆け降りた。そして煙草畑の端を大きく迂回した。
 三木は、さつぱりわけがわからなかつた。まるで疾走中に運転手が滑り落ちてしまつた機関車にでも乗つてゐるかのやうな怖ろしい不安に戦きながら、ドリ
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