腕を載せた。たしか冬だつたらう? 友達が喋るに伴れて口から息の煙りが出てゐたから。
彼は、そんなことを云はれると、まつたくわけ[#「わけ」に傍点]は解らなかつたが、一寸嬉しかつた。オブロモフなんて称《い》ふ小説は読んだこともなかつたが、そんなとてつ[#「とてつ」に傍点]もない代物に比べられたので、自分が偉くなつた気がしたのだ。そして彼は、それ位ゐ有名な小説を読んでゐなくては軽蔑されさうな気がしたので、
「あゝ、オブロモフか。」といかにも軽やかな知つたか振りを示して空とぼけた。
「実にあれは素晴しい小説だね。近代文学の要素たるアンニユイの凡てを抱括してゐる。そして、全篇一脈の音楽的リズムに依つて渾然と飽和されてるぢやないか。」などゝ友達は図に乗つて書物の広告文見たいな言葉を発した。
此奴の頭は少々怪しいぞ――彼は自分が何も知らない癖に、もう相手を馬鹿にした。
「うむ、さうだよ。」と彼は答へた。肯定さへしてゐれば自分のボロも出ないで済む……などゝ至つて狡猾な量見を持つてゐた。
「まア、そんなことはどうでも好いんだが。」と友達は慌てゝ言葉を返した。「実は僕、君のこのコートが欲しくつて堪ら
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