に母のは閉口した。その内容の如何に関はらず、いつの時でも変な恐怖と救はれ難い憂鬱とを交々感ずるのが常だつた。東京の生活を切りあげてから暫く両親のそばに住んでゐたので、この厭な気持に久しく出遇はなかつたが、四月以来また離れて暮すやうになつてからは、少くとも一ト月に一回は母からの音信に接しなければならなかつた。
彼は、いつもの通り云ひ難い冷汗を忍んで慌てゝ読み下した。(その日のは彼がスペシァルな要求をしたのに対する、スペシァルな返事だつた。)
「拝啓 先日の敬さんからのお言伝は聞き及び候 皆々至極壮健の由安堵いたし候 猶この上とも十分に注意せられ度候 さて御申越の金子は本日は最早時間なければ明朝出させ申すべく或は石川に持たせつかはすべく候
父上は滅多に御帰館なく稀に帰れば暴言の極にて如何とも術なく沁々と閉口仕り候
今や私もあきれはて候故万事を放擲してこの身の始末致す覚悟に御座候 父上の憤りは主に御身に向けられる憤りの如くに考へられ候
御身のことを申すと父上は形相を変へ一文たりとも余計なものを与へなば承知せぬぞといきまき居り候
さて私も兼々の計画通り今回一生の思ひ出に富士登山を試むべく明十二日午前八時当地出発の予定に御座候 伴れは松崎氏 寛一 栄二 滝子 冬子等同行六人に候 私も承知の体故いかゞとは存じ候へども運を天に任せ決行の次第にて、若しもの時は後事よろしくお頼み申し候 尚私所有の遺物は大部分栄二へ御譲り下され度願上候
父上は当分帰宅なき様子にて決して依頼心を起すことなく御身も自活の道を講ぜられ度願上候若し無事帰宅せば私も御身の滞在中その地へ参り種々心残りのこと伝へ置きたく思ひ居り候
八月十日夜認む[#地から2字上げ]母より
信一殿御許へ
読み終ると彼は、慌てゝ座敷へ駈けあがり手紙は机の抽出に投げ込み、何か用あり気に一寸玄関へ走り、見るからにワザとらしい何気なさを装つて宮田の前に坐つた。
ずつと勝ち続けてゐた勝負だつたが、それから三番も手合せしても彼は負け続けた。
いかにもありさうな、そして安ツぽくシンボリカルな小説の結末のやうで、彼は可笑しかつた。――そして身辺の多くの事柄を、稍ともすればそんな風に不遜な考へ方をしようとする自分をかへりみて、身の縮まる思ひをした。
[#5字下げ]五[#「五」は中見出し]
九月一日には、またと無い大
前へ
次へ
全16ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング