白孔雀のやうなアルジエリア・マンに包まれて、婀娜たる羽根扇を擬して、片脇には胡桃色の軽快なリイガルを抱へ、脚には七宝を鏤めた鞣皮のサンダルを結んだ。そしてマントの隙間から緑色の天鵞絨に馬鞭草《うまつゞら》の唐草模様を刺繍したタイツの胴には、炎ゆるやうなタイア染のバンドが隠見された。――これらの装ひは、去年の春私達が彼女の誕生日を祝福して、仮面舞踏会を開いた時に色紙やカーテンを材料にして作成した古《オールド》ノルマンデイの原始族の模倣品で、バスケツトの中に丸め込まれてあつたのを彼等は何かと思つて験めたところが、やあ、これは紙屑か! と気づいたので、売声を発するまでもなくポンと窓外にはふり出したのである。だから私は今、七宝を鏤めた等々と誌してしまつたが、それにはカツコを附して述さなければ当らぬ態の、何も彼も絵具と色糸との加工品である――実際、あたりの夜気は、上着も外套も持たなかつた私達には稍薄ら寒かつたので、そんなマントも相当の必要物となつたわけであつた。
「しかし……」
 と私は彼女の肩に敬々しく手をかけながらカラス面の下で唸つた。私は、頬に熱い雫が垂れてゐるのを感じた。創作創作――などと繰り返しながら、至極普通の感情を持つてゐる同伴者にまでも、斯んな苦労ばかりを与へてゐることが堪らなく気の毒になつて来たのである。私は、彼女のこの装ひが大変に見事で、もう何も彼も忘れてしまひ、斯んな長閑な朧夜の霞みの中を歩いてゐると、世にも幸福な大王様と后が花園を散歩してゐると思はれるのだ――といふやうなことを告げたかつたのであるが、断じて言葉が続かなくなつてしまつたのである。
「どうしたの、Ossian! ――おなかゞ空いたんぢやないの?」
「左うだ――。然し、わたしよりも君は何うなの? 歩くのが切なかつたら、わたしの腕の上に載つて……」
「…………」
 彼女は黙つて俯向いた、愛を囁かれた娘のやうに――。
 私達は、窓に向つて憎々のウヰンクスを送つた後に手を執り合つて其場を退いた。青草を踏むサンダルの感触が、雲の上を往くやうに滑らかで、他易く空腹を忘れることが出来た。
 門口に回ると、誰が乗つて来たものか空車をつけたドリアンがたゞずんでゐたので私は轡をとり、彼女を座席に促した。彼女はマントの裾をつまんで、慎しみ深く車上の人となつた。
 私達は予定に従つて岬の納屋を目指した。買収品の荷を担いだ連中が、車の紛失に気づいて止惑ふであらう光景に就いて話合ひながら、麦畑の岡裾を回り、崖径を辿つた。行手の岬の魚見櫓の真上に円い月が懸つてゐた。黒い岬の背が蝙蝠の翼のやうにうねり、遥かの崖下に波の響きが聞えるより他には、動くものゝ影もない涯しもなく静寂な月夜であつた。
 私は、刻々に強まる酔ひに似たものを感じはじめてゐた。睡気のやうなものが、視開いても/\眼蓋の上に覆ひかむさつて来た。その度に私は、ドリアンの頭上の空気に鞭を鳴らした。――月が、円塔形の櫓の中腹に低く垂れ懸つて私の眼に映つた。塔が急にあの鉛筆に似た煙突のやうに細くなつて、煙りが見えたかと思ふと、スルスルと空中に浮びあがつて大空を割する巨大な時計のダイアルの位置をぐる/\と回り、月が悠やかな弧を描いて振子と化してゐた。――私は、わけもなく、いつか風車となつて見あげた時の月を思ひ出したりしてゐた。そして、あの時の月の方が華麗であつた! などと思つた。
 漁場の広場には大きな篝火が焚かれて、樽を叩く者、踊る者、そして合唱の渦巻きで大変な騒ぎであつた。彼等は私達の馬車が到着したのを見つけると、一勢に天に冲する歓呼の声をあげて、悦び迎へた。
 豊漁祭の由であつた。――青鬼がゐた。天狗がゐた。赤鬼がゐた。皆な、夫々の仮装を凝して大浮れであつた。彼等は私達も亦この豊漁祭を悦んで駆けつけた踊り手と思ひ違へて、有無なくその渦巻の中へ引き込み、八方から盃と料理の皿を突きつけた。私達は、間もなく気分をとり戻すと、法螺貝や樽や、笛、擂り鐘、銅羅等のジヤン/\と鳴り喚く、大合奏に伴れて踊り回つてゐるカロルの中へ紛れ込んだ。
 月が、あんな風に見えたのは空腹のせいだつたのか――と私は気づいた。
「わたしは明日から、あの櫓の上で観測係をつとめるつもりだよ。あなたは、あたしの助手になつてお呉れね。」
「おゝ、嬉しい!」
 と、私の踊り合手は私の頬の傍らで悦びの声をあげた。――「Ossian――お前は勇敢な妾の夫だよ。」
 私は、私の言葉つきが女のやうであるのに気づいて秘かに驚いた。九郎達がゐなくなつてからといふものは、天地の間で、女房ひとりだけが話合手であつたゝめか、いつの間にか私はその影響を被つて、そんなになつてゐたか! と思つた。あれ以来の、ひとりの自分の眼に映ずる様々な風景が、夢ともなく、現実ともなく、一つ一つの額枠に収つて、新奇に私の胸に影響してゐるのを知つた。私は、影響を怖れなかつた、それは「亡霊の心象」に行手を知らしめる仮象の門と、私は認めてゐた。私の胸には、春の夜の有頂天のどよめきが、篝火を透し、合唱を呑み、眼に映ずる凡ゆるものゝ姿を貪つて渦巻きながらものゝ見事に自然を征服する息づかひに溢れてゐた。
「Ossian! 明日からも妾は、左う呼んでゐて好いの?」
 彼女は、漁場に動く人々は悉く珍奇で明瞭簡単な通称で称び合つてゐることを知つて、不図私に訊ねるのであつた。
「忘れてゐたよ、櫓の務め人には次々に伝はつてゐる特別の仇名があつたが――ドラ権さんに、後で訊ねて見ようよ、皆なが、それで、あたしを明日から称ぶようになるだらうから、あなたもそのつもりで……」
 私は踊りながら、塔の上を見ると、そこの見張番だけは祭りにも加はらず、眼鏡を伸して海の上を見守つてゐる有様だつた。
「早速、行つて訊いて見ようぢやないか、楽しいよ。そして今夜からあたしも改名さ。」
 そんなことを呟きながら螺線状の階段を昇つて、途中の私が借りてゐた部屋の前まで来ると、中から凄まじい鼾声が、それは全く猛獣が眠つてゐるのではないかと怪しまれる程の猛々しさで轟々と唸りを挙げてゐた。
 この部屋こそは私より他には、断じて出入禁止の私の文学に関する仕事部屋なのだ。
「盗棒に違ひない。」
 と合点して、やをらその扉を開けた時に私は、思はず、アツ! と声を出して、たぢろんだ。――といふのは、其処に倒れて、大鼾を挙げてゐるのが、九郎、八郎、七郎の三人であつたといふことに驚く前に、私は、その三体の寝像が恰も高塔の頂上から転落した屍のやうな姿であることに仰天した。
 九郎はコムパスのやうに大股をひろげて、一本の脚を壁に立て掛け、仰向態に、いが栗頭を酒壜の傍らに転がせて、虚空をつかんでゐた。八郎は亀の子型のうつぶせに、ぺしやんことなつて、九郎の頭ちかくに悪魔のそれのやうに鍵なりに曲げた熊手で畳を引つ掻いてゐた。また七郎は、大の字なりにふんぞり反つて、大きく開けた口腔の下頤に指先を引つかけて、義眼のやうに両の半眼を視開いたまゝの熟睡であつた。枕は、あちこちの隅に飛び散り、酒壜や皿小鉢が乱脈にひつくり返つてゐる中で三人の男は、火山のやうな鼾きを挙げてゐた。皆な共々に極度の疲労の痕が痛々しく、頬がこけ、眼が窪んでゐるやうであつた。それは、私に私達の創作の仕事の後の容貌を連想させた。
 私は、ひとりひとり彼等の寝像を正し、枕をあてがひ、風邪を気遣つて被着を探してゐた。――斯んな出来事は知らずに先へ行つたアルジエリアのマントが、櫓の上から、頻と私の新しい名前を呼んでゐるらしかつたが、広場の騒ぎと、三人の鼾きの雷鳴にさへぎられて、何うしても私の耳には、それ[#「それ」に傍点]が判別が出来なかつた。
 三人の寝像を憂慮しながら、あれこれと手を回してゐる私の振舞ひは、怖ろしいサアベルなどを携へた原始族でありながら、さながら女のやうにものやはらかであつた。



底本:「牧野信一全集第四巻」筑摩書房
   2002(平成14)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文藝春秋 第十巻第十号」文藝春秋社
   1932(昭和7)年9月1日発行
初出:「文藝春秋 第十巻第十号」文藝春秋社
   1932(昭和7)年9月1日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年1月17日作成
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