つて、新奇に私の胸に影響してゐるのを知つた。私は、影響を怖れなかつた、それは「亡霊の心象」に行手を知らしめる仮象の門と、私は認めてゐた。私の胸には、春の夜の有頂天のどよめきが、篝火を透し、合唱を呑み、眼に映ずる凡ゆるものゝ姿を貪つて渦巻きながらものゝ見事に自然を征服する息づかひに溢れてゐた。
「Ossian! 明日からも妾は、左う呼んでゐて好いの?」
 彼女は、漁場に動く人々は悉く珍奇で明瞭簡単な通称で称び合つてゐることを知つて、不図私に訊ねるのであつた。
「忘れてゐたよ、櫓の務め人には次々に伝はつてゐる特別の仇名があつたが――ドラ権さんに、後で訊ねて見ようよ、皆なが、それで、あたしを明日から称ぶようになるだらうから、あなたもそのつもりで……」
 私は踊りながら、塔の上を見ると、そこの見張番だけは祭りにも加はらず、眼鏡を伸して海の上を見守つてゐる有様だつた。
「早速、行つて訊いて見ようぢやないか、楽しいよ。そして今夜からあたしも改名さ。」
 そんなことを呟きながら螺線状の階段を昇つて、途中の私が借りてゐた部屋の前まで来ると、中から凄まじい鼾声が、それは全く猛獣が眠つてゐるのではないかと怪しまれる程の猛々しさで轟々と唸りを挙げてゐた。
 この部屋こそは私より他には、断じて出入禁止の私の文学に関する仕事部屋なのだ。
「盗棒に違ひない。」
 と合点して、やをらその扉を開けた時に私は、思はず、アツ! と声を出して、たぢろんだ。――といふのは、其処に倒れて、大鼾を挙げてゐるのが、九郎、八郎、七郎の三人であつたといふことに驚く前に、私は、その三体の寝像が恰も高塔の頂上から転落した屍のやうな姿であることに仰天した。
 九郎はコムパスのやうに大股をひろげて、一本の脚を壁に立て掛け、仰向態に、いが栗頭を酒壜の傍らに転がせて、虚空をつかんでゐた。八郎は亀の子型のうつぶせに、ぺしやんことなつて、九郎の頭ちかくに悪魔のそれのやうに鍵なりに曲げた熊手で畳を引つ掻いてゐた。また七郎は、大の字なりにふんぞり反つて、大きく開けた口腔の下頤に指先を引つかけて、義眼のやうに両の半眼を視開いたまゝの熟睡であつた。枕は、あちこちの隅に飛び散り、酒壜や皿小鉢が乱脈にひつくり返つてゐる中で三人の男は、火山のやうな鼾きを挙げてゐた。皆な共々に極度の疲労の痕が痛々しく、頬がこけ、眼が窪んでゐるやうであつた。それは
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