を担いだ連中が、車の紛失に気づいて止惑ふであらう光景に就いて話合ひながら、麦畑の岡裾を回り、崖径を辿つた。行手の岬の魚見櫓の真上に円い月が懸つてゐた。黒い岬の背が蝙蝠の翼のやうにうねり、遥かの崖下に波の響きが聞えるより他には、動くものゝ影もない涯しもなく静寂な月夜であつた。
 私は、刻々に強まる酔ひに似たものを感じはじめてゐた。睡気のやうなものが、視開いても/\眼蓋の上に覆ひかむさつて来た。その度に私は、ドリアンの頭上の空気に鞭を鳴らした。――月が、円塔形の櫓の中腹に低く垂れ懸つて私の眼に映つた。塔が急にあの鉛筆に似た煙突のやうに細くなつて、煙りが見えたかと思ふと、スルスルと空中に浮びあがつて大空を割する巨大な時計のダイアルの位置をぐる/\と回り、月が悠やかな弧を描いて振子と化してゐた。――私は、わけもなく、いつか風車となつて見あげた時の月を思ひ出したりしてゐた。そして、あの時の月の方が華麗であつた! などと思つた。
 漁場の広場には大きな篝火が焚かれて、樽を叩く者、踊る者、そして合唱の渦巻きで大変な騒ぎであつた。彼等は私達の馬車が到着したのを見つけると、一勢に天に冲する歓呼の声をあげて、悦び迎へた。
 豊漁祭の由であつた。――青鬼がゐた。天狗がゐた。赤鬼がゐた。皆な、夫々の仮装を凝して大浮れであつた。彼等は私達も亦この豊漁祭を悦んで駆けつけた踊り手と思ひ違へて、有無なくその渦巻の中へ引き込み、八方から盃と料理の皿を突きつけた。私達は、間もなく気分をとり戻すと、法螺貝や樽や、笛、擂り鐘、銅羅等のジヤン/\と鳴り喚く、大合奏に伴れて踊り回つてゐるカロルの中へ紛れ込んだ。
 月が、あんな風に見えたのは空腹のせいだつたのか――と私は気づいた。
「わたしは明日から、あの櫓の上で観測係をつとめるつもりだよ。あなたは、あたしの助手になつてお呉れね。」
「おゝ、嬉しい!」
 と、私の踊り合手は私の頬の傍らで悦びの声をあげた。――「Ossian――お前は勇敢な妾の夫だよ。」
 私は、私の言葉つきが女のやうであるのに気づいて秘かに驚いた。九郎達がゐなくなつてからといふものは、天地の間で、女房ひとりだけが話合手であつたゝめか、いつの間にか私はその影響を被つて、そんなになつてゐたか! と思つた。あれ以来の、ひとりの自分の眼に映ずる様々な風景が、夢ともなく、現実ともなく、一つ一つの額枠に収
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