れは?」
私は思わず、眼を視張って、賛意の動いた趣きをコリント式の体操信号法に従って反問した。
「生家に売れ、R・マキノの像として――。寸分違わぬから疑う者はなかろう。」
Rというのは十年も前に亡《な》くなったあの肖像画の当人である。私の放浪も十年目である。
「なるほど!」
名案だ! と私は気づいたが、同時に得も云われぬ怖ろしい因果の稲妻に打たれて、私はおそらく自分のと間違えたのであろう、ゼーロンの耳を力一杯つかんだ。そして鞍から転落した。
「走れ!」
と私は叫んだ。
私は、ゼーロンの臀部を敵に激烈な必死の拳闘を続けて、降り坂に差しかかった。驢馬の尻尾《しっぽ》は水車のしぶきのように私の顔に降りかかった。その隙間からチラチラと行手を眺めると、国境の大山脈は真紫に冴えて、ヤグラ嶽の頂きが僅《わず》かに茜色に光っていた。山裾一面の森は森閑として、もう薄暗く、突き飛ばされる毎にバッタのように驚いてハードル跳びを続けて行く奇態な跛馬と、その残酷な馭者との直下の眼下から深潭《しんたん》のように広漠とした夢魔を堪えていた。――背中の像が生を得て、そしてまた、あの肖像画の主が空に抜け出て、沼を渡り、山へ飛び、飜っては私の腕を執り、ゼーロンが後脚で立ち上り――宙に舞い、霞みを喰《くら》いながら、変梃《へんてこ》な身振りで面白そうにロココ風の「|四人組の踊り《カドリール》」を踊っていた。綺麗な眺めだ! と思って私は震えながら荘厳な景色に見惚《みと》れた。
半鐘が微《かす》かに聞えていたが、もう意味の判別はつかなかった。然しそれは私達のカドリールの絶えざる伴奏になっていた。
「こいつは――」
不図私は吾にかえって、背中の重荷を、子守りがするように急にゆすりあげながら呟いた。――「鬼涙沼《きなだぬま》の底へ投げ込んでしまうより他に手段《てだて》はないぞ。」
絶え間もない突撃をゼーロンの臀部に加えながら、沼の底に似た森にさしかかった。樹々《きぎ》の梢《こずえ》が水底の藻《も》に見え、「水面」を仰ぐと塒《ねぐら》へ帰る烏の群が魚に見え、ゼーロンにも私にも鰓《えら》があるらしかった。――それにしても重荷のために背中の皮膚が破れて、ビリビリと焼かるるように水がしみる! 血でも流れていはしないか? と私は思った。
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(附記――経川槇雄作「マキノ氏像」は現在相州足柄上郡塚原村古屋佐太郎の所蔵に任してある。彼の従来の作品目録中の代表作の由であり、彼自身は最早ブロンズにさえなっていれば沼の底へ保存さるるも厭《いと》わぬと云っていたが、友人達の発企でかく保存さることとなり、希望者の観覧には随時提供されている。一九二九年度の日本美術院の目録を開けば写真も掲載されている由である。経川は今年ゼーロンの像を「ゼーロン」と題して作成中とのことである。私は身軽な極めて貧しい放浪生活に在る。)
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底本:「日本の短篇 下」文藝春秋
1989(平成元)年3月25日第1刷
入力:漆原友人
校正:久保あきら
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
1999年9月4日公開
2006年4月9日修正
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