切りながら古い自作の「新キャンタベリイ」と題する Ballad《うまおいうた》 を、六脚韻を踏んだアイオン調で朗吟しはじめたが一向|利目《ききめ》がなかった。
「五月の朝まだきに、一片の花やかなる雲を追って、この愚かなアルキメデスの後輩にユレーカ! を叫ばしめたお前は、僕のペガサスではなかったか! 全能の愛のために、意志の上に作用する善美のために、苦悶の陶酔の裡に真理の花を探し索《もと》めんがために、エピクテート学校の体育場へ馳《は》せ参ずるストア学生の、お前は勇敢なロシナンテではなかったか!」
私は鞍《くら》を叩《たた》きながら、将士|皆《み》な盃と剣を挙げて王に誓いたり、吾こそ王の冠の、失われたる宝石を……と、歌い続けて拳《こぶし》を振り廻したが頑強な驢馬はビクともしなかった。
私は鞍から飛び降りると、今度は満身の力を両腕にこめて、ボルガの舟人に似た身構えで有無なく手綱をえいやと引っ張ったが、意志に添わぬ馬の力に人間の腕力なんて及ぶべくもなかった。単に私の脚が滑って、厭《いや》というほど私は額を地面に打ちつけたに過ぎなかった。私は、ぽろぽろと涙を流しながら再び鞍に戻ると、
「あの頃のお前は村の居酒屋で生気を失っている僕を――」と殊更にその通りの思い入れで、ぐったりとして、恰も人間に物言うが如くさめざめと親愛の情を含めて、
「ちゃんとこの背中に乗せて、深夜の道を手綱を執る者もなくとも、僕の住家まで送り届けてくれた親切なゼーロンであったじゃないかね!」と掻《か》きくどきながら、おお、酔いたりけりな、星あかりの道に酔い痴《し》れて、館へ帰る戦人《もののふ》の、まぼろしの憂ひを誰《たれ》ぞ知る、行けルージャの女子達……私はホメロス調の緩急韻で歌ったが、ゼーロンは飽くまでも腑抜《ふぬ》けたように白々しく埒もない有様であった。鈍重な眼蓋《まぶた》を物憂《ものう》げに伏せたまま、眼《ま》ばたきもせず真実馬耳東風に素知らぬ姿を保ち続けるのみだった。そして、翅音《はおと》をたてて舞っている眼の先の虻《あぶ》を眺めていたが、不図其奴が鼻の先に止まろうとすると、この永遠の木馬は、矢庭《やにわ》に怖ろしい胴震いを挙げて後の二脚をもって激しく地面を蹴り、死物狂いであるかのような恐怖の叫びを挙げた。私も、思わず彼のに追従した悲鳴を挙げて、その首根に蛙のように齧《かじ》りつかずには居られなかった、凡そ以前のゼーロンには見出すことの出来なかった驚くべき臆病さである。
これにはじめて勢いを得たゼーロンは、野花のさかんな河堤をまっしぐらに駆け出したのである。私は、この時とばかりに努めて、口笛と交互に緩急な Ballad を鞭にして、「こわれかかった車」のスピードを操《あやつ》った。ゼーロンの脚さばきは跛であったから駆ければ駆ける程乱雑な野蛮な音響を巻き起し、口腔をだらしもなく虚空《こくう》に向けて歯をむき出し、二つの鼻腔から吐き出す太い二本の煙の棒で澄明な陽光《ひかり》を粉砕した。私は、こんな物音ばかり凄まじいボロ汽関車を操縦して、行手の嶮《けわ》しい山径《やまみち》を越えなければならないかと思うと、急に背中の荷物が重味を増して来て、稍々《やや》ともすると荘重な華麗な声調を要する筈の唱歌が震えて絶え入りそうになったが、そんな気配を悟られてまたもやゼーロンの気勢がくじけたら一大事だと憂えたから、血を吐く思いの悲壮な喉を搾りあげて、魔の住む沼も茨《いばら》の径も、吾が往《ゆ》く駒《こま》の蹄に蹴られ……と、乱脈なヒクソスの進軍歌を喚《わめ》きたてながら、吾と吾が胸を滅多打ちの銅鑼《どら》と掻き鳴らす乱痴気騒ぎの風を巻き起してここを先途と突進した。なぜなら私は、或る理由でどんな村人に出遇っても具合の悪い状態であったから、本来ならば最も速やかな風になってここらあたりは駆け抜けてしまわなければならなかったのである。それ故塚田村でもその村道を選べばこんな河原づたいをするよりは倍も近道であったが、余儀なくかなたの鎮守の森を左手に畦道《あぜみち》を伝って大迂回《だいうかい》をしながら凡そ一里に近い弧を描いた。そして次の猪鼻《いのはな》村を目指しているのであった。私はあちこちの段々畑や野良の中で立働いている人々が、この騒ぎに顔を挙げようとするのを惧《おそ》れて、人々の点在の有無に従って、交互に慌《あわただ》しく己れの上体を米つきバッタのようにゼーロンの鬣の蔭に飜しながら尊大な歌を続けて冷汗を搾った。この不規則に激烈な運動につれて背中の荷物は思わず跳ねあがって私の後頭部にゴツンと突き当ったり、背骨一杯を息も止まれと云わんばかりにハタきつけたりしたが私は、やがて到達すべきピエル・フォンの「森蔭深き城砦の」饗宴《きょうえん》の卓を眼蓋の裏に描きながら、この猛烈な苦悶に殉じた。
漸《ようや》くの思いで塚田村を無事に通り越すと、今度は、丘というよりは寧ろ小山と称《い》うべき段々の麦畑が積み重って行く坂を登って、猪鼻村に降りるのである。私は、鬣の中に顔を埋めてその凸凹《でこぼこ》の激しいジグザグの坂を登りながら、跛馬は平坦な道よりも寧ろ坂道の方が乗手に気楽を感ぜしめるという一事実を見出したりなどした。丘の頂に達すると眼下に猪鼻村の景色が一望の下に見降せるが私は、この頂を丁度巨大な擂鉢《すりばち》のふちをたどるように半周して、一気に村の向い側へ飛び越えるつもりであった。――そうすれば、その先は全く人家の跡絶えた森や野や谷間の連続で、常人にとっては難所であるが私には寧ろ気軽になる筈だった。然《しか》しそれらの行手の径を想像すると私は最早《もはや》一刻の猶予も惜まねばならなかった。日は既に中天を遠く離れて、紫色のヤグラ嶽の空を薄赤く染めていた。道は未だ半ばにも達していないのだ。私は、懸命にゼーロンを操りながら綱渡りでもしているかのような危い心地で擂鉢のふちをたどりはじめた。先々の道ではどうしてもゼーロンの従順な力を借りなければならぬことを思って私は鞍から降りて成るべく静かな独《ひと》り歩きを試みせしめた。先に立たせて歩かせてみるとゼーロンの跛足は私に容易ならぬ不安の念を抱かせた。私は水車小屋で貰って来た水筒の酒をゼーロンの口に注ぎ込んだり、蹄鉄を験《しら》べたり、脚部を酒の雫《しずく》で湿布したりして行手の径のための大事をとった。なぜならこの擂鉢を乗り超えて次の谿谷に差しかかるとそこは正《まさ》しく昼なお暗い森林地帯で、この森深く逃げ込めば大概の悪人は追手の眼をくらませることが出来るという難所である。ここには浮浪者の姿に身を窶《やつ》した盗賊団の穴居が在《あ》って、私はその団長で、煙草《シガレット》を喫《ふか》すのにピストルを打ってライターの用にし馴《な》れている拳銃使いの名人と知り合いだったが、私がなんの言葉もかけずに都へ立去った由を聞いて彼は憤激のあまり、私を見出し次第、ポンと一発あいつ奴《め》を煙草の代りに喫してやらずには置かないぞ! といき巻いているとの事であったから、私はその怖ろしいライターの筒先に見出されぬ間にここを横断しなければならない。それにはゼーロンの渾身の駿足が必要だったからである。それでなくともこの森を単独で往行した人物は古来から記録に残された僅少の名前のみである。それにはこの森を深夜に独《ひと》りで踏み越えた豪胆者として坂田金時や新羅《しんら》三郎の名前が数えられて、今なおその記録を破る冒険者は出現しないと流言されている。通例は森を避けて、猪鼻から、岡見、御岳《みたけ》、飛龍山、唐松《からまつ》、猿山などという部落づたいに龍巻村へ向うのが順当なのであるが、私は既に塚田村で遠回りをしたばかりでなく驢馬事件のために思わぬ道草を喰ってしまった後であるから是非ともこの森を踏み越えなければ途中で日暮に出遇う怖れがあるのだ。縦令《たとい》記録に残って彼等勇敢なる武士《つわもの》と肩を竝べる誉《ほまれ》があろうとも、私は夜行には絶対に自信は皆無である。思っただけで身の毛がよだつ――。私は嘗《かつ》て徒党を組んでこの森を横断した経験があるから昼間の道には自信はあるが、がむしゃらに奥へ奥へと踏み込んで滝のある崖側《がけがわ》に突き当ると、今度は急に馬鹿馬鹿しく明るい、だが起伏の夥《おびただ》しい芝草に覆われた野原に出る筈だ。暗鬱な森を息を殺してここに至った時には思わずほっとして皆々手を執り合って顔を見合わせたことを覚えている。で、夢見心地でこの広々とした原っぱを通り過ぎると、間もなく物凄い薄《すすき》の大波が蓬々《ほうほう》と生《お》い繁《しげ》った真に芝居の難所めいた古寺のある荒野に踏み入る筈だ。ここでは野火に襲われて無惨《むざん》な横死を遂げた旅人の話が何件ともなく云い伝えられているが、全くあの荒野で野火に囲まれたならば誰しも往生するのが当然であろう。秋から冬にかけては村々は云うまでもなく森の盗賊団でも火に関する掟が厳重に守られているのは道理だ。
さてこれらの不気味な道を通り越しても更に吾々は休む暇もなく、今度は爪先上りの赤土のとても滑り易《やす》い陰気な坂をよじのぼらなければならない。この坂は俗に貧乏坂と称ばれて近在の人々にこの上もなく忌み嫌《きら》われている。というのはこの坂にさしかかると懐中《ふところ》の金袋の重味でさえも荷になって投げ棄ててしまいたくなる程の困難な煩らわしい急坂だからである。その上このあたりには昼間でも時とすると狐狸《こり》の類《たぐ》いが出没すると云われ、その害を被《こうむ》った惨めな話が無数に流布されている。怖ろしい山径をたどった後にここに差しかかる頃には誰しも山の陰気に当てられて貧血症に襲われるところからかかる迷信的な挿話が伝っているのだろうが、実際私達にしろこの坂に達した時分になると余程《よほど》自分ではしっかりしているつもりでも神経が苛々《いらいら》として来て、藪蔭《やぶかげ》で小鳥が羽ばたいても思わず慄然として首を縮め、今時狐などに化されて堪《たま》るものかと力みながらも、一般の風習に従って慌てて眉毛を唾で濡《ぬら》さぬ者はなかった。
ここもかしこも私は今日はゼーロンの駿足に頼って一気に乗り超える覚悟で、兼《かね》て決心の手綱を引き締めて出発して来たのだが、こうそれからそれへ、とぼとぼと擂鉢のふちをたどりながら行手の難路に想《おも》いを及ぼすと夥しい危惧の念に打たれずには居られなかった。折も折、夜来の雨が今朝晴れて、あたりの風景は水々しいきらびやかさに満ち溢れ、さんらんたる陽《ひかり》は実《げ》にも豪華な翼を空一杯に伸べ拡げてうらうらとまどろんでいるが、それに引きかえ、不断《ただ》でさえ日の眼に当ることなしに不断にじめじめと陰険な渋面をつくって猜疑《さいぎ》の眼ばかりを据えているあの憎たらしい坂道は、どんなにか滑り易い面上に、意地悪な苦笑を湛《たた》えながら手ぐすね引いて気の毒な旅人を待ち構えていることだろう!――私は、この坂道と戦うための用意に自分のとゼーロンのと、一束にした草鞋《わらじ》と一歩一歩踏み昇る場合の足場を掘るためのスコップとを鞍の一端に結びつけて来たのであるが、今、それが私の眼の先で、ゼーロンの跛の脚どりにつれてぶらんぶらんと揺れているのを眺めると胸は鉛のようなもので一杯になってしまった。
私はギヤマン模様のように澄明な猪鼻村のパノラマを遠く脚下に横眼で見降しながら努めて呑気そうに馬追唄を歌って行った。村の家々から立ち昇る煙が、おしめども春のかぎりの今日の日の夕暮にさえなりにけるかな――と云いたげな古歌《うた》の風情《ふぜい》で陽炎《かげろう》と見境いもつかず棚引き渡っていた。夕暮までには未だ余程の間がある。こんなところで夕暮になったら大事だ――だが私は、霞《かす》むともなくうらうらと晴れ渡った長閑《のどか》な村の景色を眺めると思わず陶然として、声高らかにさような歌を節も緩やかに朗詠した。そして更に眼を凝らして眺めると村道を歩いて行く人達の、おおあれはどこの誰だ――ということまでがはっきりと解った。枯
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