ら唸《うな》ったが、私の腕の力がゆるむと同時に直《す》ぐ項垂《うなだ》れて草を喰み続けるだけであった。黒い門は私の縁家先の屋敷で私は屡々ゼーロンを駆ってそこへ攻め寄せた事があるので、こう云ってかなたを指差したならばさすがの驢馬も往時の花やかな夢を思い出して息を吹き返すであろうと考えたが無駄になった。私は、その洞《うつ》ろな耳腔《みみ》に諄々《じゅんじゅん》と囁《ささや》くことで驢馬の記憶を呼び醒《さま》そうとした。
「ゼーロン。お前は、強欲者の酒倉を襲って酒樽を奪掠《だつりゃく》するこの泥棒詩人の、ブセハラスではなかったか! あの時のようにもう一度この鬣を振りあげて駆け出してくれ。これでも思い出せぬと云うならば、そうだ、ではあの頃の歌を歌おうよ。僕が、この Ballad を歌うとお前は歌の緩急の度に合わせて、速くも緩《ゆる》やかにも自由に脚竝みをそろえたではないか。」
 杯《さかずき》に触れなば思い起せよ、かつて、そは、King Hiero の宴《うたげ》にて、森蔭深き城砦《じょうさい》の、いと古びたる円卓子に、将士あまた招かれにし――私は、悲しみを怺《こら》えて爽快げな見得《みえ》を
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