自分の姿であった。この像に「詩人の像」或いは「男の顔」とでもいう題が附せられて、経川の作品の擁護者の手に渡ったならば私は幸いだったのだ。然《しか》し藤屋氏は、若《も》しも私が今後の生活上でこの像の処置に迷った場合には、経川の自信を傷《きずつ》けることなしにいつでも引きとることを私に約した人であった。
 藤屋氏のピエル・フォンは、道了と猿山の森を分つ鋸型《のこぎりがた》の谿谷《けいこく》に従って径《みち》を見出し、登ること三里、ヤグラ嶽の麓に蹲《うずくま》る針葉樹の密林に囲まれた山峡の龍巻と称ばるる、五十戸から成る小部落で、幽邃《ゆうすい》な鬼涙沼《きなだぬま》のほとりに封建の夢を遺している。神奈川県足柄上郡に属し、柏駅から九里の全程である。
 私が今日の目的に就いて水車小屋の主《あるじ》に語った後に、杖を棄《す》て、ゼーロンを曳《ひ》き出そうとすると彼は、その杖を鞭《むち》にする要があるだろう――
「こいつ飛んでもない驢馬《ろば》になってしまったんで……」と厭世《えんせい》的な面持を浮べた。そして、彼は私がかような重荷を持って苦労しなければならない今日の行程を心底から同情し、それが若し
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