》しく買上げる手筈になっているではないか! それをまあ、選《よ》りにも選って!――と私は、その時芸術家の感興を弁《わきま》えぬ村人達から、最も不名誉な形容詞を浴せられたことであった。
「あんな!」と彼等は途上で私に出遇《であ》うと、おとなしい私に恰も憎むべき罪があるかのように軽蔑の後ろ指をさして、
「あんな碌《ろく》でなしの、馬鹿野郎の像をつくるなんて!」
さような非難の声が益々高くなって、終《つ》いには私達が仕事中のアトリエの窓に向って石を投げつける者(それは経川の債権者達であった)さえ現れるに至ったので私は、像の命題を単に「男の像」とか、乃至《ないし》は幾分のセンセイショナルな意味で「阿呆の首」とか「或る詩人」とでも変えたならばこの難を免れ得るであろうと経川に計ったのであるが、出品の時になると彼は私にも無断で矢張り「マキノ氏像」経川槇雄作と彫りつけたのである。そして彼は私の手を執《と》って、会心の作を得たことを悦《よろこ》び、私達のピエル・フォン生活の記念として私に贈った。その頃私は自身の影にのみおびやかされて主に自らを嘲《あざけ》る歌をつくっていた頃であった。両び回想したくない
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