私の老母は、私がかようなものまで飲酒のために他人手《ひとで》に渡したことを知って、私に切腹を迫っている。私が若しこの宝物を取り戻して帰宅したならば、永年の勘当を許すという書を寄せている。半鐘は更に、
「空腹を抱《かか》えて詩をつくる愚を止めよ。」
 と促した。
 私は、あの緋縅《ひおどし》の鎧を着て生家に凱旋《がいせん》する様の誘惑にも駆られたが、あの、ぎょろりと丸く視張ってはいるものの凡そどこにも見当のつかぬというような間抜けな風情の眼と、唇を心持ち筒型にして苦《にが》さを見せた趣が、却って観《み》る者の胸に滑稽感を誘うかのような、大きな鹿爪《しかつめ》らしい武悪面に違いない私の父の肖像画の懸《かか》っている、あの薄暗い書斎に帰って、呪われた坐禅を組むことを思うと暗澹とした。父親の姿に接する時程私は陰気な虚無感に誘われる時はない。私は屡々その肖像画を破棄しようと謀《はか》って、未だに果し得ないのであるが、やがては屹度《きっと》決行するつもりでいる。――詩は、饑餓に面した明朗な野からより他に私には生れぬ。
「お前の、その背中の重荷の売却法を教えてやろうよ。」
 と半鐘は信号した。
「そ
前へ 次へ
全33ページ中30ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング