なかった、凡そ以前のゼーロンには見出すことの出来なかった驚くべき臆病さである。
これにはじめて勢いを得たゼーロンは、野花のさかんな河堤をまっしぐらに駆け出したのである。私は、この時とばかりに努めて、口笛と交互に緩急な Ballad を鞭にして、「こわれかかった車」のスピードを操《あやつ》った。ゼーロンの脚さばきは跛であったから駆ければ駆ける程乱雑な野蛮な音響を巻き起し、口腔をだらしもなく虚空《こくう》に向けて歯をむき出し、二つの鼻腔から吐き出す太い二本の煙の棒で澄明な陽光《ひかり》を粉砕した。私は、こんな物音ばかり凄まじいボロ汽関車を操縦して、行手の嶮《けわ》しい山径《やまみち》を越えなければならないかと思うと、急に背中の荷物が重味を増して来て、稍々《やや》ともすると荘重な華麗な声調を要する筈の唱歌が震えて絶え入りそうになったが、そんな気配を悟られてまたもやゼーロンの気勢がくじけたら一大事だと憂えたから、血を吐く思いの悲壮な喉を搾りあげて、魔の住む沼も茨《いばら》の径も、吾が往《ゆ》く駒《こま》の蹄に蹴られ……と、乱脈なヒクソスの進軍歌を喚《わめ》きたてながら、吾と吾が胸を滅多打ちの
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