、それには充分な理由があるんですもの。遠慮なんて要らないことよ……」
 更に、そんなことを清子がさゝやいたので私は、よしツ、失敬な男だ! と呟き、明らかな喧嘩腰となり、
「馬鹿野郎!」――「意久地なし!」――「女蕩し!」
 などゝ続けざまに物凄い挑戦の言葉を叫んだ。
 すると、さすがに向方も癪に触つたと見えて、ちよつと振り返るや、拳を空に突き示した。
 私は、宙に飛んで、拳を振り示し、なほも、猛烈な挑戦の言葉を叫んだが、相手の姿は見る間に麦畑の中に消へてしまつた。黒い頭が、ひよい/\と浮き沈んで行つたが、忽ちそれも影をひそめてしまつた。
「残念だな!」
 と私は、行手を凝つと睨めながら唸つた。「たつた一言でも好いから、誰かゞ聞いてゐるところで、云つてやりたいことがあるのよ、あの慾深男に――」
「ね、今ね、彼の人つたらね……」
 と私の細君は私の手と清子の手を同時に取りあげて、
「この二人がね、恋を語りながら今、向方の堤の蔭を歩いてゐるから、皆なで、そつと廻り道をして、後をつけてつてやらうぢやないか――なんて、あたし達を誘ふのよ。」
 と、悲し気な表情を露はにして苦笑ひした。
「それで、
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