もお妙も、これが樽野の悴だといふ見極めがつくまでは多少の時を要されたのであつた。脚は、交互の脚踏みをしてゐるやうに片方だけを曲げてゐる。腕は、うしろ手に縛られたかたちで背中に載つてゐる。――二人とも身動きもしない。蒸あつい西日が、開け放しの部屋に一杯あたつてゐた。その閑寂の中に二人の鼾だけがゴーゴーと鳴つてゐた。
「相変らずね……まあ!」とお蝶は、心もち顔を顰めてお妙を顧たのであつた。――彼女は、一途にがつかりした。
「お起しゝようか?」
「好いよ、来てしまへば――もう好いよ。お目醒めになるまで、斯うして待たう。」
 お蝶は、寧ろ自分のために、暫らくさうして待つてゐたかつた。
「小さい奥さまは、お留守……」お妙が云つた。「お坊ちやんも……随分大きくおなりになつたらうね。」――「あら、やつぱし小さい奥さまつて称んで好いかしら?」
「それは――好いさ。」
「ぢあ、若旦那は?」
「…………」
「何だか、あたし、やつぱしさうより他に云へないやうな気がするわ。」
「…………」
「ねえ、関《かま》はないかしら?」
「……あたし達だけは関はないだらう、ひとりでなほ[#「なほ」に傍点]るまでは――。変
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