は何一つ取りかゝらぬうちにもうなくなりかけてゐるので、何かの口実を考へてゐるらしい――などと附け加へた。――「お調子に乗つてあの人は、ツーちやんのことまで引きうけてしまつて、内心大分弱つてゐるらしい……だけど、あの人、ツーちやんには、妙に同情してゐるらしいのよ、珍らしいことだが――」
*
「お蝶さん、これ飲まない……」
「西洋のものなんて、とても戴けさうもありませんわ、――それこそ大変!」
「ぢやビールにしようか。あたしこの頃とてもお酒が強くなつたわよ。――カレラと一緒に毎晩飲むわよ。ところがカレラの方が弱いのさ、昼間は始終《しよつちう》あの通りなんぢやないの。」
「まあ、小さい奥さん……」
「費つたつて云つたつて、馬鹿/\しい――カグラザカとかへ通つて……」
「御苦労ですわね――まあ、お静かに。もうお眼醒めになるんぢやないでせうか?」
「それが可笑しいのよ、お蝶さん――。夜になると苦し紛れにうち[#「うち」に傍点]の人は大きな法螺を吹くもので、そして毎晩違ふことばかし云つてゐるもので、昼間は、工合が悪くつて――眠れないと薬をのんでまで、あゝして……」
「大変なこと……」
「もつと妙なことには、この頃ではうち[#「うち」に傍点]の人は、わざとお酒に酔つた振なんかして――狸寝入りなんてすることもあるらしいのよ。」
*
「どこか、この先の方にお花見の場所でもあるんですか、小さい奥さん……」
「随分乗つてゐるでせう、仮装の人達なんて!」
「御存じない?」
「あたしも誰かに聞いて見ようと思つてゐたところなの。」
「でも、もう大概桜は散つた頃ぢやないでせうか。」
「八重桜はまだあるんぢやないの?」
「さうですかね。」
「ともかく毎日/\、大変な人出よ。」
底本:「牧野信一全集第二巻」筑摩書房
2002(平成14)年3月24日初版第1刷
底本の親本:「新小説 第三十一巻第七号」春陽堂
1926(大正15)年7月1日発行
初出:「新小説 第三十一巻第七号」春陽堂
1926(大正15)年7月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年5月23日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書
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