ある。と書いた。その小説の清親のやうな母の兄があつたので、彼は、涙をふるつて清親を叔父と書いたのだ。――清親は、彼の叔父ではなかつた。彼は、小説の蔭にかくれた己れを、殺して好いか、慰めて好いか、解らなかつた。嫌ひだ、と書いても母は懐しかつた。
 彼のペンの先きは、怪しく震へ、胸は不気味に掻き乱された。――他に、何の仕事も出来ないこと、そして、生れながらに行き詰つた己れの頭を、憎み、呪た。
 或る晩、わずかなことから彼は、周子と激しい争ひをした。徹夜を続けて、何十枚か書き溜めた原稿「その後の母と彼」を、破いて、蒼い顔をして階下に降りて来たのだ。
「何処まで貴様の家は、この俺に祟ることなんだらう。」
 陰鬱に酔つた彼は、首を振つて斯んなことを云つた。「俺が、お前のやうな奴と知り合ひにさへならなければ、俺の家は、明るく幸福だつたんだ――また、英一を伴れて行きやアがつたな! 畜生奴!」
「親切にしてくれたものを、そんなことを云ふものぢやありませんよ。」
 賢太郎に悪る気のないことは、彼も知つてゐた。たゞ周子の家庭を考へると、無性に肚がたつてならなかつた。彼は、周子と知り合ひになつた、厭な言葉だ
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