気がすると、軽い好奇心を感じたりした。
「藪医者とは何だ、失敬な。」と、彼は一刻前と同じやうに威張つた。「俺だつてそれ位ひの文句は知つてゐるんだ、即ち同じ裸虫と雖も……」
「もう止して下さいな、折角子供が寝たところなんだから……」と、周子は慰《なだ》めるやうに云つた。――彼は、無気になつて威張つたわけではなかつた。周子を、ごまかしたのだ。彼は、食膳の下のオペラ・グラスを、そんなことを喋舌つてゐる間に、そつと取つて懐中に忍ばせた。よかつた、と思つた。――十年も前にFに貰つた遠眼鏡である。大火の時に運び出された荷物の間に、彼は中学の時に使つた手文庫を見つけ出したので、何気なく開けて見たら隅の方に、昔彼の父が幼少の彼に送つた手紙の束と一処に、入つてゐたのだ。原稿などを入れるに、鍵がついてゐるから都合が好いと思つて彼は、出京する時の荷物の中に箱を収めて来た。
芝居気のある彼は、そんな眼鏡を、この頃漫然と外出する時は、そつと内ふところに隠して出かける習慣をつくつた。そんな微かな秘密が、稚戯を喜ぶ彼の心に、仄かな明るさを宿した。
――前の晩彼は、泥酔して帰つて来た。友達が載せて呉れたタクシーの
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