てしまつたので、悪戯の心を突然白けさせられた。――母の云つた通り少々頭が怪しくなつてゐるのかな! 彼は一寸さう疑つても見たい位ひな淋しさを味つた。
「俺が死んでゝもしまへば好い位ひに思つてゐるかも知れないよ、彼奴等は……」
 父は、そつと口のうちでそんなことを呟いだりした。
「何をつまらないことを云つてゐるんですよ。彼奴等とは何ですかね、さつぱりわけが解りやアしない。」と、彼は不平を洩しながら、病人を眺めるやうな眼つきで、そつと父を窺つたりした。タキノ家には、代々精神病の血統があるのだ。よく彼の母は、タキノ家を軽蔑する為に「気狂ひなんていふものは、肚の据らない臆病な人間の罹る病気なんだよ。お前もお酒を飲むと少々怪しいよ。」などと云つたこともある。一代に一人宛出るといふ話だつた、父の叔父がその病気を病ひ、父の弟も亦それに罷つたので、そんなことを云ひ伝へたのかも知れなかつたが――。
「俺を気狂ひ扱ひになんかするんだから、失敬極まるぢやないか。」と、父は云つた。彼は、ゾツとした。叔父の場合で彼は、幾度も経験したが、病ひの初めは「俺を気狂ひ扱ひにした。」と、称して怒鳴り出すのが常だつた。
「嘘だらう、――僕は、気狂ひぢや閉口したからね、言葉だけでも御免だ!」
「気狂ひどころの騒ぎぢやないや、芝居ぢやあるまいし………ねえ、おい!」と、父はお蝶に呼びかけた。お蝶は、落着いた笑顔を示した。――「お蝶とお光は、この先きは法界節にでもなるかな、ハツハツハ、法界節だつて屹度面白いぞウ!」
「厭だ/\。」と、彼は云つた。「僕ア、ひとつ……」
 彼は、半分戯談に云ひ続けたが
「僕ア、ひとつ……」とまた口ごもつた。
「若旦那がしつかりしてゐらつしやるから……」
 お蝶は、如何にも彼の虚勢を信じ切つてゐるといふ風に、細い眼を慎ましやかに伏せた。父と彼は、思はず酔漢らしい眼を見合せてにやりとした。
 ――言ふまでもなくその頃の父の気持は今になつて思へば、凡そ数学の才に鈍い彼にとつても、暗算で出来る算術なのである。

[#5字下げ]八[#「八」は中見出し]

 彼が、そつとのれん[#「のれん」に傍点]の蔭から覗いて見ると、あの異人の子供の手工を想はせる椅子が二つあまつて並んでゐた。重苦しく酔つて、他合もない感傷に走つてゐる彼は、奥の方に何んな人がゐるのかはつきり解らないと思つた時に、若少しでふとこ
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