通に経験以上といっている者の直覚である。弁証的に知るべき者を直覚するのである、たとえば美術家や宗教家の直覚の如き者をいうのである。直覚という点においては普通の知覚と同一であるが、その内容においては遙にこれより豊富深遠なるものである。
 知的直観ということは或人には一種特別の神秘的能力のように思われ、また或人には全く経験的事実以外の空想のように思われている。しかし余はこれと普通の知覚とは同一種であって、その間にはっきりした分界線を引くことはできないと信ずる。普通の知覚であっても、前にいったように、決して単純ではない、必ず構成的である、理想的要素を含んでいる。余が現在に見ている物は現在の儘《まま》を見ているのではない、過去の経験の力に由りて説明的に見ているのである。この理想的要素は単に外より加えられた聯想というようなものではなく、知覚|其者《そのもの》を構成する要素となっている、知覚其者がこれに由りて変化せられるのである。この直覚の根柢に潜める理想的要素はどこまでも豊富、深遠となることができる。各人の天賦により、また同一の人でもその経験の進歩に由りて異なってくるのである。始は経験のできなか
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