外界の変化においては知識的なる予期表象其者が変化の原因となるのではないというかも知れぬが、元来、因果とは意識現象の不変的連続である、仮に意識を離れて全然独立の外界なる者があるとするならば、意志においても意識的なる予期表象が直に外界における運動の原因とはいわれまい、単に両現象が平行するというまででなければならぬ。かく見れば意志的予期表象の運動に対する関係は知識的予期表象の外界に対する関係と同一になる。実際、意志的予期表象と身体の運動とは必ずしも相伴うのではない、やはり或約束の下に伴うのである。
 また我々は普通に意志は自由であるといっている。しかしいわゆる自由とは如何なることをいうのであろうか。元来我々の欲求は我々に与えられた者であって、自由にこれを生ずることはできない。ただ或与えられた最深の動機に従うて働いた時には、自己が能動であって自由であったと感ぜられるのである、これに反し、かかる動機に反して働いた時は強迫を感ずるのである、これが自由の真意義である。而してこの意味においての自由は単に意識の体系的発展と同意義であって、知識においても同一の場合には自由であるということができる。我々はい
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