てこの仮定がいわゆる客観と一致する時、これを^理と信ずるのである、即ち真理を知り得たのである。意志的動作においても、我は一の欲求を有っていても、直にこれが意志の決行となるのではない、これを客観的事実に鑒《かんが》み、その適当にして可能なるを知った時、始めて実行に移るのである。前者において我々は全然主観を客観に従えるが、後者においては客観を主観に従えるということができるであろうか。欲求は能《よ》く客観と一致することに因りてのみ実現することができる、意志は客観より遠ざかれば遠ざかる程無効となり、これに近づけば近づくほど有効となるのである。我々が現実と離れた高き目的を実行しようと思う場合には種々の手段を考え、これに因りて一歩一歩と進まねばならぬ、而してかく手段を考えるのは即ち客観に調和を求めるのである、これに従うのである、若し到底その手段を見出すことができぬならば、目的その者を変更するより外はなかろう。これに反し目的が極めて現実に近かった時には、飲食起臥の習慣的行為の如く、欲求は直に実行となるのである、かかる場合には主観より働くのではなく、かえって客観より働くとも見らるるのである。
 かく意
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