幾 多 郎
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版を新にするに当って
この書刷行を重ねること多く、文字も往々鮮明を欠くものがあるようになったので、今度|書肆《しょし》において版を新にすることになった。この書は私が多少とも自分の考をまとめて世に出した最初の著述であり、若かりし日の考に過ぎない。私はこの際この書に色々の点において加筆したいのであるが、思想はその時々に生きたものであり、幾十年を隔てた後からは筆の加えようもない。この書はこの書としてこの儘《まま》として置くの外はない。
今日から見れば、この書の立場は意識の立場であり、心理主義的とも考えられるであろう。然《しか》非難せられても致方《いたしかた》はない。しかしこの書を書いた時代においても、私の考の奥底に潜むものは単にそれだけのものでなかったと思う。純粋経験の立場は「自覚における直観と反省」に至って、フィヒテの事行《じこう》の立場を介して絶対意志の立場に進み、更に「働くものから見るものへ」の後半において、ギリシャ哲学を介し、一転して「場所」の考に至った。そこに私は私の考を論理化する端緒を得たと思う。「場所」の考は「弁証法的一般者」として具体
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