らるるかも知らぬが、我は哲理を考えるように罰せられているといった哲学者(ヘーゲル)もあるように、一たび禁断の果を食った人間には、かかる苦悩のあるのも已《や》むを得ぬことであろう。
明治四十四年一月[#19字下げて]京都にて
[#天より32字下げて地より3字上げで]西 田 幾 多 郎
[#改ページ]
再 版 の 序
この書を出版してから既に十年余の歳月を経たのであるが、この書を書いたのはそれよりもなお幾年の昔であった。京都に来てから読書と思索とに専《もっぱら》なることを得て、余もいくらか余の思想を洗練し豊富にすることを得た。従ってこの書に対しては飽き足らなく思うようになり、遂にこの書を絶版としようと思うたのである。しかしその後諸方からこの書の出版を求められるのと、余がこの書の如き形において余の思想の全体を述べ得るのはなお幾年の後なるかを思い、再びこの書を世に出すこととした。今度の出版に当りて、務台、世良の両文学士が余の為に字句の訂正と校正との労を執られたのは、余が両君に対し感謝に堪えざる所である。
大正十年一月
[#天より32字下げて地より3字上げで]西 田
前へ
次へ
全260ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
西田 幾多郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング