においても一般的要素を含んでおる。ファウストが人世について大煩悶の後、夜深く野の散歩より淋しき己《おの》が書斎にかえった時のように、夜静に心|平《たいら》なるの時、自らこの感情が働いてくるのである(Goethe, Faust, Erster Teil, Studierzimmer)。我々と全く意識の根柢を異にせるものがあったならばとにかく、凡《すべ》ての人に共通なる理性を具した人間であるならば、必ず同一に考え同一に求めねばならぬと思う。勿論人類最大の要求が場合に由っては単に可能性に止まって、現実となって働かぬこともあるであろう、しかしかかる場合でも要求がないのではない、蔽われているのである、自己が真の自己を知らないのである。
右に述べたような理由に由って、我々の最深なる要求と最大の目的とは自ら一致するものであると考える。我々が内に自己を鍛錬して自己の真体に達すると共に、外自ら人類一味の愛を生じて最上の善目的に合うようになる、これを完全なる真の善行というのである。かくの如き完全なる善行は一方より見れば極めて難事のようであるが、また一方より見れば誰にもできなければならぬことである。道徳の
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