立に必要である、いわゆる対立的原理より生ずるのである)。
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 アウグスチヌスに従えば元来世の中に悪という者はない、神より造られたる自然は凡《すべ》て善である、ただ本質の欠乏が悪である。また神は美しき詩の如くに対立を以て世界を飾った、影が画の美を増すが如く、もし達観する時は世界は罪を持ちながらに美である。
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 試《こころみ》に善の事実と善の要求との衝突する場合を考えて見ると二つあるのである。一は或行為が事実としては善であるがその動機は善でないというのと、一は動機は善であるが事実としては善でないというのである。先ず第一の場合について考えて見ると、内面的動機が私利私欲であって、ただ外面的事実において善目的に合うているとしても、決してそれが人格実現を目的とする善行といわれまい。我々は時にかかる行為をも賞讃することがあるであろう。しかしそは決して道徳の点より見たのでなく、単に利益という点より見たのである。道徳の点より見れば、かかる行為はたとい愚であっても己《おのれ》が至誠を尽した者に劣っている。或は一個人が己自身を潔《いさぎよ》うする一人の善行よりも
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