識はその一部であるから、我々の要求の大部分は凡て社会的である。もし我々の欲望の中よりその他愛的要素を去ったならば、殆ど何物も残らない位である。我々の生命欲も主なる原因は他愛にあるを以て見ても明である。我々は自己の満足よりもかえって自己の愛する者または自己の属する社会の満足によりて満足されるのである。元来我々の自己の中心は個体の中に限られたる者ではない。母の自己は子の中にあり、忠臣の自己は君主の中にある。自分の人格が偉大となるに従うて、自己の要求が社会的となってくるのである。
これより少しく社会的善の階級を述べよう。社会的意識に種々の階級がある。そのうち最小であって、直接なる者は家族である、家族とは我々の人格が社会に発展する最初の階級といわねばならぬ。男女相合して一家族を成すの目的は、単に子孫を遺《のこ》すというよりも、一層深遠なる精神的(道徳的)目的をもっている。プラトーの『シムポジューム』の中に、元は男女が一体であったのが、神に由って分割されたので、今に及んで男女が相慕うのであるという話がある。これはよほど面白い考である。人類という典型より見たならば、個人的男女は完全なる人でない、
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