あるのである。乃《すなわ》ち善を求め善に遷《うつ》るというのは、つまり自己の真を知ることとなる。合理論者が真と善とを同一にしたのも一面の真理を含んでいる。しかし抽象的知識と善とは必ずしも一致しない。この場合における知るとはいわゆる体得の意味でなければならぬ。これらの考は希臘においてプラトーまた印度《インド》においてウパニシャッドの根本的思想であって、善に対する最深の思想であると思う(プラトーでは善の理想が実在の根本である、また中世哲学においても「すべての実在は善なり」 omne ens est bonum という句がある)。
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第十章 人 格 的 善
前には先ず善とは如何なる者でなければならぬかを論じ、善の一般の概念を与えたのであるが、これより我々人間の善とは如何なる者であるかを考究し、これが特徴を明《あきらか》にしようと思う。我々の意識は決して単純なる一の活動ではなく、種々なる活動の綜合であることは誰にも明なる事実である。して見ると、我々の要求なる者も決して単純ではない、種々なる要求のあるのが当然である。然らばこれらの種々なる要求の中で、いずれの要求を充すの
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