きず、且つ道徳的善の命令的要素を説明することはできない。しかのみならず、快楽を以て人生の唯一の目的となすのは未だ真に人性自然の事実に合ったものといわれない。我々は決して快楽に由りて満足することはできない。もし単に快楽のみを目的とする人があったならばかえって人性に悖《もと》った人である。
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第九章 善(活動説)
已《すで》に善についての種々の見解を論じ且つその不充分なる点を指摘したので、自ら善の真正なる見解は如何なるものであるかが明《あきらか》になったと思う。我々の意志が目的とせなければならない善、即ち我々の行為の価値を定むべき規範はどこにこれを求めねばならぬか。かつて価値的判断の本を論じた所にいったように、この判断の本は是非これを意識の直接経験に求めねばならぬ。善とはただ意識の内面的要求より説明すべき者であって外より説明すべき者でない。単に事物はかくあるまたはかくして起ったということより、かくあらねばならぬということを説明することはできぬ。真理の標準もつまる所は意識の内面的必然にあって、アウグスチヌスやデカートの如き最も根本に立ち返って考えた人は皆ここより出立
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