楽も苦痛の結果を生ぜざる以上は、排斥すべきものにあらずと考えたが、氏は瞬間の快楽よりも一生の快楽を重しとし、積極的快楽よりもむしろ消極的快楽、即ち苦悩なき状態を尚んだ。氏の最大の善というのは心の平和 tranquility of mind ということである。しかし氏の根本主義はどこまでも利己的快楽説であって、希臘人のいわゆる四つの主徳、睿知《えいち》、節制、勇気、正義という如き者も自己の快楽の手段として必要であるのである。正義ということも、正義|其者《そのもの》が価値あるのではなく、各人相犯さずして幸福を享《う》ける手段として必要なのである。この主義は氏の社会的生活に関する意見において最も明《あきらか》である。社会は自己の利益を得る為に必要なのである。国家は単に個人の安全を謀る為に存在するのである。もし社会的煩累を避けて而も充分なる安全を得ることができるならば、こは大に望むべき所である。氏の主義はむしろ隠遁主義 λαθε βιωσασ[#「λαθε」の「α」と「βιωσασ」の「ω」は鋭アクセント(´)付き。「βιωσασ」の語尾の「σ」はファイナルシグマ] である。氏はこれに由りて、
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