の真景においては主観、客観、精神、物体の区別はない、しかし実在の成立には凡て統一作用が必要である。この統一作用なる者は固《もと》より実在を離れて特別に存在するものではないが、我々がこの統一作用を抽象して、統一せらるる客観に対立せしめて考えた時、いわゆる精神現象となるのである。たとえば爰《ここ》に一つの感覚がある、しかしこの一つの感覚は独立に存在するものではない、必ず他と対立の上において成立するのである、即ち他と比較し区別せられて成立するのである。この比較区別の作用即ち統一的作用が我々のいわゆる精神なる者である。それでこの作用が進むと共に、精神と物体との区別が益々著しくなってくる。子供の時には我々の精神は自然的である、従って主観の作用が微弱である。然るに成長するに従って統一的作用が盛になり、客観的自然より区別せられた自己の心なる者を自覚するようになるのである。
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 普通には我々の精神なる者は、客観的自然と区別せられたる独立の実在であると考えている。しかし精神の主観的統一を離れた純客観的自然が抽象的概念であるように、客観的自然を離れた純主観的精神も抽象的概念である。統
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