は我々の子孫と共に同一細胞の分裂に由りて生じた者である。生物の全種属を通じて同一の生物と見ることができる。生物学者は今日生物は死せずといっている。意識生活について見てもその通である。人間が共同生活を営む処には必ず各人の意識を統一する社会的意識なる者がある。言語、風俗、習慣、制度、法律、宗教、文学等は凡てこの社会的意識の現象である。我々の個人的意識はこの中に発生しこの中に養成せられた者で、この大なる意識を構成する一細胞にすぎない。知識も道徳も趣味も凡て社会的意義をもっている。最も普遍的なる学問すらも社会的因襲を脱しない(今日各国に学風というものがあるのはこれが為である)。いわゆる個人の特性という者はこの社会的意識なる基礎の上に現われ来る多様なる変化にすぎない、いかに奇抜なる天才でもこの社会的意識の範囲を脱することはできぬ。かえって社会的意識の深大なる意義を発揮した人である(キリストの猶太教《ユダヤきょう》に対する関係がその一例である)。真に社会的意識と何らの関係なき者は狂人の意識の如きものにすぎぬ。
右の如き事実は誰も拒むことはできぬが、さてこの共同的意識なる者が個人的意識と同一の意味において存在する者で、一の人格と見ることができるか否かに至っては種々の異論がある。ヘッフディングなどは統一的意識の実在を否定し、「森は木の集合であってこれを分《わか》てば森なる者がない、社会も個人の集合で個人の外に社会という独立なる存在はない」といっている(Hoffding[#「o」はウムラウト(¨)付き], Ethik, S. 157)。しかし分析した上で統一が実在せぬから統一がないとはいわれぬ。個人の意識でもこれを分析すれば別に統一的自己という者は見出されない。しかし統一の上に一つの特色があって、種々の現象はこの統一に由って成立する者と見做《みな》さねばならぬから、一つの生きた実在と看做《みな》すのである。社会的意識も同一の理由に由って一つの生きた実在と見ることができる。社会的意識にも個人的意識と同じように中心もある連絡もある立派に一の体系である。ただ個人的意識には肉体という一つの基礎がある。これは社会的意識と異なる点であるが、脳という者も決して単純なる物体でない、細胞の集合である。社会が個人という細胞に由って成っていると違う所はない。
かく社会的意識なる者があって我々の個人的意識はその一部であるから、我々の要求の大部分は凡て社会的である。もし我々の欲望の中よりその他愛的要素を去ったならば、殆ど何物も残らない位である。我々の生命欲も主なる原因は他愛にあるを以て見ても明である。我々は自己の満足よりもかえって自己の愛する者または自己の属する社会の満足によりて満足されるのである。元来我々の自己の中心は個体の中に限られたる者ではない。母の自己は子の中にあり、忠臣の自己は君主の中にある。自分の人格が偉大となるに従うて、自己の要求が社会的となってくるのである。
これより少しく社会的善の階級を述べよう。社会的意識に種々の階級がある。そのうち最小であって、直接なる者は家族である、家族とは我々の人格が社会に発展する最初の階級といわねばならぬ。男女相合して一家族を成すの目的は、単に子孫を遺《のこ》すというよりも、一層深遠なる精神的(道徳的)目的をもっている。プラトーの『シムポジューム』の中に、元は男女が一体であったのが、神に由って分割されたので、今に及んで男女が相慕うのであるという話がある。これはよほど面白い考である。人類という典型より見たならば、個人的男女は完全なる人でない、男女を合した者が完全なる一人である。オットー・ヴァイニンゲルが「人間は肉体においても精神においても男性的要素と女性的要素との結合より成った者である、両性の相愛するのはこの二つの要素が合して完全なる人間となる為である」といっている。男子の性格が人類の完全なる典型でないように、女子の性格も完全なる典型ではあるまい。男女の両性が相補うて完全なる人格の発展ができるのである。
しかし我々の社会的意識の発達は家族というような小団体の中にかぎられたものではない。我々の精神的並に物質的生活は凡てそれぞれの社会的団体において発達することができるのである。家族に次いで我々の意識活動の全体を統一し、一人格の発現とも看做すべき者は国家である。国家の目的については色々の説がある。或人は国家の本体を主権の威力に置き、その目的は単に外は敵をふせぎ内は国民相互の間の生命財産を保護するにあると考えている(ショーペンハウエル、テーン、ホッブスなどはこれに属する)。また或人は国家の本体を個人の上に置き、その目的は単に個人の人格発展の調和にあると考えている(ルソーなどの説である)。しかし国家の真正なる目的は第一の論者のいう
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