ような物質的でまた消極的なものでなく、また第二の論者のいうように個人の人格が国家の基礎でもない。我々の個人はかえって一社会の細胞として発達し来ったものである。国家の本体は我々の精神の根柢である共同的意識の発現である。我々は国家において人格の大なる発展を遂げることができるのである。国家は統一した一の人格であって、国家の制度法律はかくの如き共同意識の意志の発現である(この説は古代ではプラトー、アリストテレース、近代ではヘーゲルの説である)。我々が国家の為に尽すのは偉大なる人格の発展完成の為である。また国家が人を罰するのは復讐《ふくしゅう》の為でもなく、また社会安寧の為でもない、人格に犯すべからざる威厳がある為である。
国家は今日の処では統一した共同的意識の最も偉大なる発現であるが、我々の人格的発現はここに止まることはできない、なお一層大なる者を要求する。それは即ち人類を打して一団とした人類的社会の団結である。此《かく》の如き理想は已にパウロの基督《キリスト》教においてまたストイック学派において現われている。しかしこの理想は容易に実現はできぬ。今日はなお武装的平和の時代である。
遠き歴史の初から人類発達の跡をたどって見ると、国家というものは人類最終の目的ではない。人類の発展には一貫の意味目的があって、国家は各その一部の使命を充す為に興亡盛衰する者であるらしい(万国史はヘーゲルのいわゆる世界的精神の発展である)。しかし真正の世界主義というは各国家が無くなるという意味ではない。各国家が益々強固となって各自の特徴を発揮し、世界の歴史に貢献するの意味である。
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第十三章 完全なる善行
善とは一言にていえば人格の実現である。これを内より見れば、真摯《しんし》なる要求の満足、即ち意識統一であって、その極は自他相忘れ、主客相没するという所に到らねばならぬ。外に現われたる事実として見れば、小は個人性の発展より、進んで人類一般の統一的発達に到ってその頂点に達するのである。この両様の見解よりしてなお一つ重要なる問題を説明せねばならぬ必要が起って来る。内に大なる満足を与うる者が必ずまた事実においても大なる善と称すべき者であろうか。即ち善に対する二様の解釈はいつでも一致するであろうかの問題である。
余は先ずかつて述べた実在の論より推論して、この両見解は決して相矛盾衝突することがないと断言する。元来現象に内外の区別はない、主観的意識というも客観的実在界というも、同一の現象を異なった方面より見たので、具体的にはただ一つの事実があるだけである。しばしばいったように世界は自己の意識統一に由りて成立するといってもよし、また自己は実在の或特殊なる小体系といってもよい。仏教の根本的思想であるように、自己と宇宙とは同一の根柢をもっている、否|直《ただち》に同一物である。この故に我々は自己の心内において、知識では無限の真理として、感情では無限の美として、意志では無限の善として、皆実在無限の意義を感ずることができるのである。我々が実在を知るというのは、自己の外の物を知るのではない、自己自身を知るのである。実在の真善美は直に自己の真善美でなければならぬ。然らば何故にこの世の中に偽醜悪があるかの疑が起るであろう。深く考えて見れば世の中に絶対的真善美という者もなければ、絶対的偽醜悪という者もない。偽醜悪はいつも抽象的に物の一面を見て全豹《ぜんぴょう》を知らず、一方に偏して全体の統一に反する所に現われるのである(実在第五章においていったように、一面より見れば偽醜悪は実在成立に必要である、いわゆる対立的原理より生ずるのである)。
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アウグスチヌスに従えば元来世の中に悪という者はない、神より造られたる自然は凡《すべ》て善である、ただ本質の欠乏が悪である。また神は美しき詩の如くに対立を以て世界を飾った、影が画の美を増すが如く、もし達観する時は世界は罪を持ちながらに美である。
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試《こころみ》に善の事実と善の要求との衝突する場合を考えて見ると二つあるのである。一は或行為が事実としては善であるがその動機は善でないというのと、一は動機は善であるが事実としては善でないというのである。先ず第一の場合について考えて見ると、内面的動機が私利私欲であって、ただ外面的事実において善目的に合うているとしても、決してそれが人格実現を目的とする善行といわれまい。我々は時にかかる行為をも賞讃することがあるであろう。しかしそは決して道徳の点より見たのでなく、単に利益という点より見たのである。道徳の点より見れば、かかる行為はたとい愚であっても己《おのれ》が至誠を尽した者に劣っている。或は一個人が己自身を潔《いさぎよ》うする一人の善行よりも
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