が最上の善であるか。我々の自己全体の善とは如何なる者であるかの問題が起ってくる。
 我々の意識現象には一つも孤独なる者がない、必ず他と関係の上において成立するのである。一瞬の意識でも已《すで》に単純でない、その中に複雑なる要素を含んでいる。而《しか》してこれらの要素は互に独立せるものではなくして、彼此《ひし》関係上において一種の意味をもった者である。啻《ただ》に一時の意識が斯《かく》の如く組織せられてあるのみではなく、一生の意識もまた斯の如き一体系である。自己とはこの全体の統一に名づけたのである。
 して見ると、我々の要求というのも決して孤独に起るものではない。必ず他との関係上において生じてくるのである。我々の善とは或一種または一時の要求のみを満足するの謂《いい》でなく、或一つの要求はただ全体との関係上において始めて善となることは明である。たとえば身体の善はその一局部の健康でなくして、全身の健全なる関係にあると同一である。それで活動説より見て、善とは先ず種々なる活動の一致調和或は中庸ということとならねばならぬ。我々の良心とは調和統一の意識作用ということとなる。
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 調和が善であるというのはプラトーの考であった。氏は善を音楽の調和に喩《たと》えておる。英のシャフツベリなどもこの考を取っている。また中庸が善であるというのはアリストテレースの説であって、東洋においては『中庸』の書にも現われて居る。アリストテレースは凡《すべ》て徳は中庸にあるとなし、たとえば勇気は粗暴と怯弱《きょうじゃく》との中庸で、節倹は吝嗇《りんしょく》と浪費との中庸であるといった。能く子思《しし》の考に似ている。また進化論の倫理学者スペンサーの如きが、善は種々なる能力の平均であるといっているのも、つまり同一の意味である。
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 しかし、単に調和であるとか中庸であるとかいったのでは未だ意味が明瞭でない。調和とは如何なる意味においての調和であるか、中庸とは如何なる意味においての中庸であるか。意識は同列なる活動の集合ではなくして統一せられたる一体系である。その調和または中庸ということは、数量的の意味ではなくして体系的秩序の意味でなければならぬ。然らば我々の精神の種々なる活動における固有の秩序は如何なるものであるか。我々の精神もその低き程度においては動物の精神と同じく単に本能活動である。即ち目前の対象に対して衝動的に働くので、全く肉欲に由りて動かされるのである。しかし意識現象はいかに単純であっても必ず観念の要求を具えて居る。それで意識活動がいかに本能的といっても、その背後に観念活動が潜んで居らねばならぬ(動物でも高等なる者は必ずそうであろうと思う)。いかなる人間でも白痴の如き者にあらざる以上は、決して純粋に肉体的欲望を以て満足する者ではない、必ずその心の底には観念的欲望が働いている。即ちいかなる人も何らかの理想を抱いて居る。守銭奴の利を貪《むさぼ》るのも一種の理想より来るのである。つまり人間は肉体の上において生存しているのではなく、観念の上において生命を有して居るのである。ゲーテの菫《すみれ》という詩に、野の菫が少《わか》き牧女に踏まれながら愛の満足を得たというようなことがある。これが凡ての人間の真情であると思う。そこで観念活動というのは精神の根本的作用であって、我々の意識はこれに由りて支配せらるべき者である。即ちこれより起る要求を満足するのが我々の真の善であるといわねばならぬ。然らば更に一歩を進んで、観念活動の根本的法則とは如何なる者であるかといえば、即ち理性の法則ということとなる。理性の法則というのは観念と観念との間の最も一般的なる且つ最も根本的なる関係を言い現わした者で、観念活動を支配する最上の法則である。そこでまた理性という者が我々の精神を支配すべき根本的能力で、理性の満足が我々の最上の善である。何でも理に従うのが人間の善であるということになる。シニックやストイックはこの考を極端に主張した者で、これが為に凡て人心の他の要求を悪として排斥し、理にのみ従うのが一の善であるとまでにいった。しかしプラトーの晩年の考やアリストテレースでは理性の活動より起るのが最上の善であるが、またこれより他の活動を支配し統御するのも善であるといった。
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 プラトーは有名なる『共和国』において人心の組織を国家の組織と同一視し、理性に統御せられた状態が国家においても個人においても最上の善といっている。
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 もし我々の意識が種々なる能力の綜合より成っていて、その一が他を支配すべきように構成せられてある者ならば、活動説における善とは右にいった如く理性に従うて他を制御するにあるといわねばならぬ。しかし我々の意
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