識は元来一の活動である。その根柢にはいつでも唯一の力が働いている。知覚とか衝動とかいう瞬間的意識活動にも已にこの力が現われて居る。更に進んで思惟、想像、意志という如き意識的活動に至れば、この力が一層深遠なる形において現われてくる。我々が理性に従うというのも、つまりこの深遠なる統一力に従うの意に外ならない。然らずして抽象的に考えた単に理性というものは、かつて合理説を評した処に述べたように、何らの内容なき形式的関係を与うるにすぎないのである。この意識の統一力なる者は決して意識の内容を離れて存するのではない、かえって意識内容はこの力に由って成立するものである。勿論意識の内容を個々に分析して考うる時は、この統一力を見出すことはできぬ。しかしその綜合の上に厳然として動かすべからざる一事実として現われるのである。たとえば画面に現われたる一種の理想、音楽に現われたる一種の感情の如き者で、分析理解すべき者ではなく、直覚自得すべき者である。而して斯の如き統一力をここに各人の人格と名づくるならば、善は斯の如き人格即ち統一力の維持発展にあるのである。
 ここにいわゆる人格の力とは単に動植物の生活力という如き自然的物力をさすのではない。また本能という如き無意識の能力をさすのでもない。本能作用とは有機作用より起る一種の物力である。人格とはこれに反し意識の統一力である。しかしかくいえばとて、人格とは各人の表面的意識の中心として極めて主観的なる種々の希望の如き者をいうのではない。これらの希望は幾分かその人の人格を現わす者であろうが、かえってこれらの希望を没し自己を忘れたる所に真の人格は現われるのである。さらばとてカントのいったような全く経験的内容を離れ、各人に一般なる純理の作用という如き者でもない。人格はその人その人に由りて特殊の意味をもった者でなければならぬ。真の意識統一というのは我々を知らずして自然に現われ来る純一無雑の作用であって、知情意の分別なく主客の隔離なく独立自全なる意識本来の状態である。我々の真人格は此《かく》の如き時にその全体を現わすのである。故に人格は単に理性にあらず欲望にあらず況《いわ》んや無意識衝動にあらず、恰も天才の神来の如く各人の内より直接に自発的に活動する無限の統一力である(古人も道は知、不知に属せずといった)。而してかつて実在の論に述べたように意識現象が唯一の実在であるとすれば、我々の人格とは直《ただち》に宇宙統一力の発動である。即ち物心の別を打破せる唯一実在が事情に応じ或特殊なる形において現われたものである。
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 我々の善とは斯の如き偉大なる力の実現であるから、その要求は極めて厳粛である。カントも「我々が常に無限の歎美と畏敬《いけい》とを以て見る者が二つある、一は上にかかる星斗|爛漫《らんまん》なる天と、一は心内における道徳的法則である」といった。
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   第十一章 善行為の動機(善の形式)

 上来論じた所を総括していえば、善とは自己の内面的要求を満足する者をいうので、自己の最大なる要求とは意識の根本的統一力即ち人格の要求であるから、これを満足する事即ち人格の実現というのが我々に取りて絶対的善である。而《しか》してこの人格の要求とは意識の統一力であると共に実在の根柢における無限なる統一力の発現である、我々の人格を実現するというはこの力に合一するの謂《いい》である。善はかくの如き者であるとすれば、これより善行為とは如何なる行為であるかを定めることができると思う。
 右の考よりして先ず善行為とは凡《すべ》て人格を目的とした行為であるということは明《あきらか》である。人格は凡ての価値の根本であって、宇宙間においてただ人格のみ絶対的価値をもっているのである。我々には固より種々の要求がある、肉体的欲求もあれば精神的欲求もある、従って富、力、知識、芸術等種々貴ぶべき者があるに相違ない。しかしいかに強大なる要求でも高尚なる要求でも、人格の要求を離れては何らの価値を有しない、ただ人格的要求の一部または手段としてのみ価値を有するのである。富貴、権力、健康、技能、学識もそれ自身において善なるのではない、もし人格的要求に反した時にはかえって悪となる。そこで絶対的善行とは人格の実現|其者《そのもの》を目的とした即ち意識統一其者の為に働いた行為でなければならぬ。
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 カントに従えば、物は外よりその価値を定めらるるのでその価値は相対的であるが、ただ我々の意志は自ら価値を定むるもので、即ち人格は絶対的価値を有している。氏の教は誰も知る如く汝および他人の人格を敬し、目的其者 end in itself として取扱えよ、決して手段として用うる勿《なか》れということであった
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