ネがら、いつもそれだけのものではない。
歴史的世界は、生物の始から人間に至るまで、多と一との矛盾的自己同一である。而して作られたものから作るものへと動いて行くのである。動物的生命においては、なお個物的多が全体的一に対立せない、即ち個物が独立せない。作られたものから作るものへとの歴史的進展の過程が、全体的一の過程と考えられる、即ち合目的的と考えられる。個物が独立せないということは、逆に一がなお真の一でないということである、個物的多の世界に対して超越的でないということである、なお多の一であるということである。これに反して人間の世界においては、如何に原始的であっても既に多と一との矛盾的自己同一的である。しかしそれでも原始的社会にあっては、個物はなお真に独立的ではない、全体的一は抑圧的である。全体的一は単に超越的である。多は一の多である。然るに個物は何処までも独立的たることによって個物である。絶対矛盾的自己同一の世界においては、個物が個物自身を形成することが世界が世界自身を形成することであり、その逆に世界が世界自身を形成することが個物が個物自身を形成することである。多と一とが相互否定的に一と
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