_を媒介とすることによって私は汝《なんじ》に対し、人格は人格に対するということでもある。社会は矛盾的自己同一的現在の自己形成として、何処までも作られたものから作るものへと動いて行く。かかる過程は機械的でもなく合目的的でもない。多と一との矛盾的自己同一的過程として行為的直観的でなければならない。多が一の多、一が多の一、動即静、静即動として、そこに永遠なるものの自己形成即ちイデヤ的形成の契機が含まれていなければならない。文化というのはかかる契機において成立するのである。この故にそれは何処までも種的形成でありながら、絶対矛盾的自己同一的現在の自己形成として世界史的となる。矛盾的自己同一的に自己自身を形成する社会は、是《ここ》においてイデヤ的形成的として国家となる、即ち理性的となるのである。かかる社会の形成要素として我々は具体的人格となるのである。かかる意味において国家が倫理的実体であり、我々の道徳的行為は国家を媒介とするということができるのである。文化的ならざる国家というものはない。非文化的な社会は国家の名に価せないものである。但、文化はイデヤ的として世界史的なるを以て或社会の種的形成であり
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