ロ的合理論者の考える如く、歴史的過去が否定せられるとか、特殊が単に一般の特殊となるとかいうことではない。原始社会というものが、既に矛盾的自己同一として成立するのである。而《しか》して我々の社会は何処までもかかる立場において発展し行くのである。否、矛盾的自己同一的なるが故に、作られたものから作るものへと発展し行くのである。
歴史的に与えられたものは、絶対矛盾的自己同一的現在において世界史的に与えられたものとして、我々が個人的自己であればあるほど、それを否定することができないまでに自己の生命の根柢に迫るのである。直観的に我々に迫るものは、世界史的に迫るものとなるのである。社会の特殊性は単なる特殊性ではなく、固《もと》歴史的世界の生産様式であったのである。我々は個人的自己として、すべて直観的なるものを棄《す》てて、合理的となると考える。しかしそれはかえって自己同一的世界の形成要素として、真に行為的直観的となるということである。原始社会においての如く、我々はいつも絶対矛盾的自己同一に対しているのである。否、我々は個人的なればなるほど、爾いうことができる。矛盾的自己同一的世界の形成要素として絶
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