潟ールの如く論理以前ということができるであろう。しかしプラトンの論理といえども、その根柢においてイデヤの分有にほかならない。単なる抽象的論理はかえって真の論理ではない。具体的論理は両面の矛盾的自己同一でなければならない。いうまでもなく、論理が真の論理となるには、ミトス的なものは否定せられて行かなければならない。作られたものから作るものへと、社会は弁証法的に進展し行くのである。しかし何処まで行っても、その根柢において、歴史的・社会的形成として、ポイエシス的に実在を把握し行くという行為的直観の過程たるを脱せない。具体的論理たるかぎり、爾《しか》いうことができる。しかし斯《か》くいうのは、論理の根柢に神秘的直観的なものを考えるということではない。何処までもポイエシス的に、実践的に、真実在に肉迫し行くことである。絶対矛盾的自己同一として自己自身を形成する世界の生産様式を把握し行くことである。そこには何処までもミトス的に我々を抑圧するものを否定し行かねばならない。単に特殊的なるもの単に歴史的なるものを越え行かねばならない。そこには直観的に与えられるものが否定せられると考えられる。しかしそれは抽
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