形成せられることである。見るということと働くということとの矛盾的自己同一をいうのである。過去と未来とが現在において相互否定的に結合する、即ち現在が矛盾的自己同一として過去未来を包む、現在が形を有《も》つという時、そこに私のいわゆる自己自身を形成する世界があるのである。世界は一つの現在として、作られたものから作るものへと無限に自己自身を形成し行く。我々はかかる世界の個物として意識的に世界を映すことによって形成的であり、而して自己矛盾的に世界を形成し行く、即ち表現作用的である(表現作用とは世界を媒介として働くことである)。そこに我々は我々の生命を有つのである。
行為的直観的に物を見るということは、世界の生産様式的に物を把握することでなければならない。かかる意味において物を見ることは世界を映すことである。ヘーゲルの如き意味において概念的に実在を把握することは、此《かく》の如きことでなければならない。物を具体概念的に把握するというのは、(作られて作るものとして)物を歴史的生産様式的に把握することでなければならない。かかる立場から把握せられる物の本質がその具体概念である。具体概念とは抽象作用に
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