か》にしていると思う)。全世界の有つ形、私のいわゆる生産様式と作用とは離して考えることはできない。人は多く作用というものを全世界との関係から離して抽象的に考えている。物理作用とか、生物的作用とかいうものでも、爾考えることができる。しかし表現的作用というものは、爾考えることはできない。主体が環境を、環境が主体を形成すると考えられる絶対矛盾的自己同一の世界においては、物質的世界というものも既に作られたものであり、作られたものは環境的として主体を形成し行く。物質の世界から生物の世界へ、生物の世界から人間の世界へ発展するのである。矛盾的自己同一ということが、抽象論理的に考えられないといっても、実在とは此《かく》の如く自己自身から動くものであろう。
 我々がこの世界において働くということは、物を形成することであり、私が行為的直観的に物を見、物を見るから働くというのは、右の如く個物が何処までも表現的に世界を形成することによって個物であり、逆にそれが絶対矛盾的自己同一の世界の自己形成の一角であるというによるのである。行為的直観というのは、我々が自己矛盾的に客観を形成することであり、逆に我々が客観から
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