ない。これに反し空間的なるものが自己否定的に時間的なる所に、即ち自己矛盾的に自己自身から動き行く所に、現実の世界があるのである。故に絶対矛盾的自己同一として現在から現在へと動き行く世界の現在において、何処までも主体と環境とが相対立し、主体が自己否定的に環境を、環境が自己否定的に主体を形成する。而して現実の世界の現在は、主体と環境と、一と多との矛盾的自己同一として、決定せられたもの即ち作られたものから、作るものへと動き行く。それが過去から未来へと動き行くということである。作られたものというのは既に環境に入ったものである、過去となったものである。しかも(無が有として、過去は過ぎ去ったものでありながらあるものとして)それは自己否定的に主体を形成するものである。
 世界を多から、あるいは一から考えるならば、作られたものから作るものへということはあり得ない。世界を機械的にあるいは合目的的に考えても、かかることがあることはできない、否、作るという如きことも入れられる余地はないのである。然るに多が自己否定的に一、一が自己否定的に多として、多と一との絶対矛盾的自己同一の世界においては、主体が自己否定的
前へ 次へ
全104ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
西田 幾多郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング