民族の世界史的使命を遂行せなければならない。これが東亞共榮圈構成の原理である。今や我々東亞民族は一緒に東亞文化の理念を提げて、世界史的に奮起せなければならない。而して一つの特殊的世界と云ふものが構成せられるには、その中心となつて、その課題を擔うて立つものがなければならない。東亞に於て、今日それは我日本の外にない。昔、ペルシヤ戰爭に於てギリシヤの勝利が今日までのヨーロッパ世界の文化發展の方向を決定したと云はれる如く、今日の東亞戰爭は後世の世界史に於て一つの方向を決定するものであらう。

 今日の世界的道義はキリスト教的なる博愛主義でもなく、又支那古代の所謂王道といふ如きものでもない。各國家民族が自己を越えて一つの世界的世界を形成すると云ふことでなければならない、世界的世界の建築者となると云ふことでなければならない。我國體は單に所謂全體主義ではない。皇室は過去未來を包む絶對現在として、皇室が我々の世界の始であり終である。皇室を中心として一つの歴史的世界を形成し來つた所に、萬世一系の我國體の精華があるのである。我國の皇室は單に一つの民族的國家の中心と云ふだけでない。我國の皇道には、八紘爲宇の世界形成の原理が含まれて居るのである。
 世界的世界形成の原理と云ふのは各國家民族の獨自性を否定することではない、正にその逆である。世界と云へば、人は今尚十八世紀的に抽象的一般的世界を考へて居るのである。私の世界的世界形成と云ふのは、各國家各民族がそれぞれの歴史的地盤に於て何處までも世界史的使命を果すことによつて、即ちそれぞれの歴史的生命に生きることによつて、世界が具體的に一となるのである、即ち世界的世界となるのである。世界が具體的に一となると云ふことは各國家民族が何處までもそれぞれの歴史的生命に生きることでなければならない。恰も有機體に於ての樣に、全體が一となることは各自が各自自身となることであり、各自が各自自身となることは全體が一となることである。私の世界と云ふのは、個性的統一を有つたものを云ふのである。世界的世界形成の原理とは、萬邦各その所を得せしめると云ふに外ならない。今日の國家主義は、かゝる世界的世界形成主義に基礎附けられてゐなければならない。單に各國家が各國家にと云ふことではない。今日の世界状勢は世界が何處までも一とならざるべからざるが故に、各國家が何處までも各自に國家主義
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