的たらねばならぬのである。而してかゝる多と一との媒介として、共榮圈といふ如き特殊的世界が要求せられるのである。
我國民の思想指導及び學問教育の根本方針は何處までも深く國體の本義に徹して、歴史的現實の把握と世界的世界形成の原理に基かねばならない。英米的思想の排撃すべきは、自己優越感を以て東亞を植民地視するその帝國主義にあるのでなければならない。又國内思想指導の方針としては、較もすれば黨派的に陷る全體主義ではなくして、何處までも公明正大なる君民一體、萬民翼贊の皇道でなければならない。
以上は私が國策研究會の求に應じて、世界新秩序の問題について話した所の趣旨である。各國家民族が何處までも自己に即しながら、自己を越えて一つの世界を形成すると云ふことは、各國家民族を否定するとか輕視するとかと云ふことではない。逆に各國家民族が自己自身に還り、自己自身の世界史的使命を自覺することによつて、結合して一つの世界を形成するのである。かゝる綜合統一を私は世界と云ふのである。各國家民族を否定した抽象的世界と云ふのは、實在的なものではない。從つてそれは世界と云ふものではない。故に私は特に世界的世界と云ふのである。從來は世界は抽象的であり、非實在的であつた。併し今日は世界は具體的であり、實在的であるのである。今日は何れの國家民族も單に自己自身によつて存在することはできぬ、世界との密接なる關係に入り込むことなくして、否、全世界に於て自己自身の位置を占めることなくして、生きることはできぬ。世界は單なる外でない。斯く今日世界が實在的であると云ふことが、今日の世界戰爭の原因であり、此の問題を無視して、今日の世界戰爭の問題を解決することはできない。私の世界と云ふのは右の如き意味のものであるから、世界的世界形成と云ふことは、地域傳統に從つてと云ふのである。然らざれば、具體的世界と云ふものは形成せられない。私の云ふ所の世界的世界形成主義と云ふのは、他を植民地化する英米的な帝國主義とか聯盟主義とかに反して、皇道精神に基く八紘爲宇の世界主義でなければならない。抽象的な聯盟主義は、その裏面に帝國主義に却つて結合して居るのである。
歴史的世界形成には、何處までも民族と云ふものが中心とならなければならない。それは世界形成の原動力である。共榮圈と云ふものであつても、その中心となる民族が、國際聯盟に於ての如
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