に於て、強大なる國家と國家とが對立する時、世界は激烈なる鬪爭に陷らざるを得ない。科學、技術、經濟の發達の結果、今日、各國家民族が緊密なる一つの世界的空間に入つたのである。之を解決する途は、各自が世界史的使命を自覺して、各自が何處までも自己に即しながら而も自己を越えて、一つの世界的世界を構成するの外にない。私が現代を各國家民族の世界的自覺の時代と云ふ所以である。各國家民族が自己を越えて一つの世界を構成すると云ふことは、ウィルソン國際聯盟に於ての如く、單に各民族を平等に、その獨立を認めるといふ如き所謂民族自決主義ではない。さういふ世界は、十八世紀的な抽象的世界理念に過ぎない。かゝる理念によつて現實の歴史的課題の解決の不可能なることは、今日の世界大戰が證明して居るのである。いづれの國家民族も、それぞれの歴史的地盤に成立し、それぞれの世界史的使命を有するのであり、そこに各國家民族が各自の歴史的生命を有するのである。各國家民族が自己に即しながら自己を越えて一つの世界的世界を構成すると云ふことは、各自自己を越えて、それぞれの地域傳統に從つて[#「それぞれの地域傳統に從つて」に傍点]、先づ一つの特殊的世界を構成することでなければならない。而して斯く歴史的地盤から構成せられた特殊的世界が結合して、全世界が一つの世界的世界に構成せられるのである。かゝる世界的世界に於ては、各國家民族が各自の個性的な歴史的生命に生きると共に、それぞれの世界史的使命を以て一つの世界的世界に結合するのである。これは人間の歴史的發展の終極の理念であり、而もこれが今日の世界大戰によつて要求せられる世界新秩序の原理でなければならない。我國の八紘爲宇の理念とは、此の如きものであらう。畏くも萬邦をしてその所を得せしめると宣らせられる。聖旨も此にあるかと恐察し奉る次第である。十八世紀的思想に基く共産的世界主義も、此の原理に於て解消せられなければならない。
今日の世界大戰の課題が右の如きものであり、世界新秩序の原理が右の如きものであるとするならば、東亞共榮圈の原理も自ら此から出て來なければならない。從來、東亞民族は、ヨーロッパ民族の帝國主義の爲に、壓迫せられてゐた、植民地視せられてゐた、各自の世界史的使命を奪はれてゐた。今や東亞の諸民族は東亞民族の世界史的使命を自覺し、各自自己を越えて一つの特殊的世界を構成し、以て東亞
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