フランス哲学についての感想
西田幾多郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)書く暇を有《も》たない。
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(例)【#“geometrie”の“geo”と“met”の“e”はアクサン付き】
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私はフランス哲学にはドイツ哲学やイギリス哲学と異なった独得な物の見方考え方があると思う。しかし私は今それについて詳しく考え、詳しく書く暇を有《も》たない。ただこれまで人に話したり、或は機に触れて書いたりしたことを、思い出るままに記すだけである。
デカルトといえば、合理主義的哲学の元祖である。しかし彼の『省察録』Meditationesなどを読んでも、すぐ気附くことは、その考え方の直感的なことである。単に概念的論理的でない。直感的に訴えるものがあるのである。パスカルの語を借りていえば、単に l'esprit de geometrie【#“geometrie”の“geo”と“met”の“e”はアクサン付き】[幾何学の精神]でなくて、l'esprit de finesse[繊細の精神]というものがあると思う。フランス哲学の特色は後者にある。同じデカルトの流を汲んだ人でも、マールブランシュとスピノザとを比べて見れば、思半《おもいなかば》に過ぐるものがあるであろう。
元来芸術的と考えられるフランス人は感覚的なものによって思索するということができる。感覚的なものの内に深い思想を見るのである。フランス語の「サンス」 sens という語は他の国語に訳し難い意味を有っている。それは「センス」 sense でもない、「ジン」 Sinnでもない。マールブランシュはいうまでもなく、デカルトにすらそれがあると思われる。しかし私はフランス哲学独得な内感的哲学の基礎はパスカルによって置かれたかに思う。その「心によっての知」 connaissancepar coeur は「サン・アンチーム」 sens intime[内奥感、内密感、内親感]としてメーン・ドゥ・ビランの哲学を構成し、遂にベルグソンの純粋持続にまで到ったと考えることができる。メーン・ドゥ・ビランはパスカルが賞讚するといった ceux qui cherchent en gemissant【#“gemissant”の“e”は
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