銀を与えて秀子の行く先を問い詰める外は無い、余は巾着から五六個を攫み出して彼に与え「シテ其の美人は何処へ行った」小僧「人に見られては成らぬと思ったか大道へは出ずに茲から直ぐに裏路へ這入りました」余「裏路へ入ってそれから」小僧「夫からハイ塔の方へ行きました」余「幽霊塔の方へか」小僧「ハイ」余「爾して其の後は知らぬのか」小僧「イイエ、若し大道へ出たならば私は気にも留めぬ所でしたが裏路へ曲がった丈に何所へ行くのだろうと見届ける気に成りました、コレは此の家の婆さんが常に私に言い附けるのです、隠れも何もせぬ人は見届けるに及ばぬけれど、隠れようとする人は必ず見届ける様にせよ、金儲けの種になるからと、イイエ本統ですよ、夫だから私は見え隠れに其の後を尾けて行きました、所が幽霊塔の裏庭へ這入り、堀端に在る輪田夏子の墓の前へ蹐《しゃが》み、二十分ほど泣いて居ました、爾して堀に向かった方の窓を開き其の中へ這入って了いました、何でも玄関からでは人に見られるから、誰にも知らさぬ様に、故々窓から這入ったのですよ」
 愈々怪しむ可き次第である、自分の家へ帰るのに裏の窓から忍ぶ様にして這入るとは決して唯事ではない、而かも毒薬を買って提《たずさ》えて居たとすれば、益々余の想像の通り人知れずに自殺する為と云う事が事実らしく成って来る、最早此の上を聞くには及ばぬ、早く幽霊塔へ馳せ返って様子を見る一方だ、とは云え其の事は既に五時間余、六時間ほども前とすれば、或いは早や自殺をした後かも知らぬ、余は遽しく馬の手綱を受け取り、之に乗ろうとするに、小僧「是が話のお仕舞いでは有りません、私は未だ此の後を見たのです」余は又も銀貨を与えて「知って居るだけ早く云って了え」小僧「ハイ私は何うも変だと思いましたゆえ、先刻も外へ出た帰りに故々幽霊塔の方へ廻り、暫く中の様子を見て居ました所、妙な所の窓からアノ方が顔を出しました」余「何処の窓から」小僧「アノ大時計の直ぐに下に在る室の窓です」さては余の室である、或いは余の室で自殺したのでは有るまいか、余「それ切りか」小僧「ハイ一寸と顔を出して直ぐに引っ込めました、其の後で暫く見て居ましたけれど再びは出しませんでした」余「それは何時頃の事で有った」小僧「貴方が此の家へ来て後ですから、今より一時間ほど前になります」
 一時間前に生きて居たとすれば今も未だ自害はせぬかも知れぬ、或いは余の室で書き置きでも認めて居るだろうか、最早此の上を聞く必要は無い、余は直ちに馬に飛び乗り、殆ど弾丸の早さを以て幽霊塔に帰った、聊か思う仔細があるから、塔の室へ上る前に先ず下僕に向かい「高輪田長三は何うした」と聞いた、下僕「アノ方は先日から心臓病が起こったとて御自分の室に寝て居ます」余「彼は今朝己が此の家へ帰った事を知って居るだろうか」下僕「イヤ知って居る筈は有りません」余「知らねば夫で宜いから、決して知らさぬ様にして置け」
 心臓病で寝て居るなら猶当分は此の家に居るだろう、何しろ彼の身が今は万事の中心と為って居る有様ゆえ、取り逃がさぬ工風をせねばならぬ、彼未だ余が彼の罪悪を看破した事に気が附かぬ故、猶も此の家に踏み留って悪事を続ける積りに違い無い、逃げ去る恐れは万々《ばんばん》ないけれど、余の帰った事を知らざるに如くは無いと、余は此の様な考えで、下僕に前の通り差し図したが、彼が余の帰ったと知らぬ為に又恐ろしい一場の悲劇を演じ出そうとは神ならぬ余の思い得ぬ所であった。
 余は其の足で直ぐに塔の上の余の室へ上って行った、茲に秀子が居るか知らんと思ったは空頼みで、秀子は影も形も無い、けれど小僧の云った通り茲に居たのは確かである、余の机に倚りて何か書き認めた者と見え、筆の先が新たな墨色を帯びて居る、爾して一方には絹の手巾が有る、秀子の常に用うる香水の匂いで秀子の品と分る、取り上げて見れば是も猶湿った儘であるが、此の湿りは何であろう、問うまでも無く涙である。泣きながら何事をか書いたとすれば、愈々書き置きらしく思われるが、其の書き置きは何所へ置いたで有ろうと、余は余ほど捜したけれど見当らぬ。捜し盡くして再び卓子の所へ返ると卓子の片端に大きな一冊の本が表紙だけ開いてある、見れば余が初めて叔父と共に此の塔へ来た時に此の室で見出した祖先伝来の彼の聖書で、其の表紙の裏に在る咒文が出て居る「明珠百斛、王錫嘉福、妖※[#「※」は「かみがしらの下に几」、読みは「こん」、182−上21]偸奪、夜水竜哭」云々の文句は余が今も猶記憶して居る通りで有る、特に此の咒語を茲へ開いて於てあるのは、何かの謎で、秀子が余に悟らせんとの為で有るまいかと此の様に思うに連れ益々気遣わしい、若しや秀子は、此の家の先祖が落ち込んで再び出る事の出来ずして其の死骸さえ現われぬと云う此の幽霊塔の底へ身を投げたではあるまいか、其の知らせに此の咒語を開いたでは有るまいか。

第百四回 目に留る一物

 此の幽霊塔を建てた当人さえ、一たび落ち込んでは終に出ることが出来ずして「助けて呉れ、助けて呉れ」との叫び声を、空しく外に洩しつつ悶き死んだと言い伝えられて居る此の塔の底に松谷秀子が身を投げたで有ろうか、唯想像するさえも恐ろしい程だから、真逆にとは思うけれど、前後の事情を考え合わせば、何うも身を投げたとしか思われぬ。
 真に身を投げたのなら、今頃は塔のドン底で何の様な有様と為って居るやら、彼の千艸屋で買ったと云う毒薬を呑み、最う既に何の苦痛をも知らぬ冥界《あのよ》の人と為って了ったであろうか、夫とも猶だ死にはせず、其の身の不幸や、浮世の邪慳な事などを思い廻し、一人で思う存分に泣き入って居るで有ろうか、孰れにしても実に早まった次第である、僅かに一時間か、二時間か、余が茲へ来るまで待って居たなら、其の身に掛かる恐ろしい濡衣が、乾すに乾されぬ事のない次第も分り、死なずとも済む事が腑に落ちて、大した愁きもなく収まる所であったのに、エエ、残念とも心外とも今更譬うる言葉もない、思えば実に不運不幸な女ではある、幾年幾月、艱難辛苦、唯其の身の濡衣を乾し度いばかりに、自ら密旨と称して命がけの誓いを立て、屈せず撓《たゆ》まず只管に自分を苦しめ、ヤッと其の密旨の届く可き間際まで漕ぎ附けたのに、却って悪人や悪き事情などの為に妨げられ、到頭密旨の届かぬ者と断念し、其の絶望の余りに、遂に還らぬ冥界へ身を投げたとは、真に千古の恨事と云う者、此の様な哀れが又有ろうか、思えば思うだけ、察すれば察するだけ、余は益々秀子の傷わしさが身に徹《こた》え何が何でも此の儘に捨て置く訳には行かぬ、余自らも塔の底へ降って見よう、出る事が出来ずして秀子と共に死ねば死ねだ。
 今から思えば実に乱暴な決心ではある、併し此の時は乱暴とは思わぬ、秀子の後を追い塔の底へ降る外には、広い世界に余に行き所はない様な気に成って了った、降って行って、間に合うやら合わぬやら、其の様な事は夢中である、既に秀子の死んだ後で、余は其の死骸の傍へ着き、呼《よ》び活《い》かする事も出来ず、余自ら死ぬるにも死ぬる道なく、生きて塔の外へ返るにも返る道のない、如何とも仕難い場合に立ち到りはせぬかなどとは露ほども心に浮かばぬ、唯一心に塔の底、塔の底と叫びつつ、上の時計室へ登って行った。
 時計室へ登って、何うして塔の底へ降る事が出来る、昔から塔の底にありと言い伝えらるる大なる秘密を探らんがため、降り行かんと企てた者が幾人と云う数知れずで、而も一人たりとも降り得た者はない、若し有れば昔に於ては此の塔を建てた此の家の先祖一人、而も其の人は出る事が出来ずに死に、今の世では秀子一人であるけれど、余は唯彼の咒語にある「鐘鳴緑揺」と云う文句が便りだ、時計の鐘の鳴る時に、緑色の丸い戸の様な盤が動き出し、其の間から「微光閃※[#「※」は、へんが「火」、つくりが「日」の下に「立」、よみは「よく」、184−上21]」と有る通り、外の明かりが差し込んで見ゆる事は曾て見届けた所である、其ののちも其の前にも秀子から能く此の咒語を研究せよと告げられたのを今まで研究も何もせずに捨て置いたのは残念であるけれど、ナニ熱心に考えて見れば分らぬ事が有る者か、何でも緑盤の動くのが出発点だ、薄明かりの差す其の穴から潜り込めば「載升[#底本では「載昇」]載降階廊迂曲」など有った通り、昇ったり降ったり、迂《めぐ》り曲った道が有るに違いない、最う何でも時計の鐘の鳴る刻限だから長く待つにも及ぶまいと、先ず自分の時計を検めると丁度午後の一時より五分前だ。
 一時の鳴るが合図であると、殆ど競馬の馬が出発の号砲を待つ様に、余は張り切って緑盤の許に行き、今にも一時の鐘が鳴るか、今にも一時の鐘が鳴るか、今にも緑盤が動くかと、見詰める目に忽ち留る一物は、緑盤の縁に介《はさ》まって食出《はみだ》して居る絹の切れで有る、見紛う様もない日影色の地合は確かに秀子の着物である。
 余は之を見ると共に胸が張り裂ける様に躍った、今更怪しむ迄もない様な物の之で見れば秀子が此の緑盤を潜って塔の底へ降った事は最早火を見るより明らかと云う者だ、此の所を潜る時に、被物の端が緑盤へ引っ掛かったのを、秀子は其のまま引きちぎって進んだのだ、愈々以て猶予はならぬと、余は其の絹切れを手に握り、時計の鳴るを待つ間もなく、一時とはなった、時計の鐘は鳴った、緑盤は動いた、手に握って居る日影色の絹は盤の動くと共に脱け出て余の手の中に帰した。

第百五回 時計の囚人

 時計の音と共に此の緑盤の動くを見るのは今が二度目だ、此の前にタッた一度しか見た事は無い、何処まで動いて其のあとが何の様になる事か其の辺は少しも知らぬ、けれど動く途端に其の隙間から潜り込めば宜いに違いないと余は唯此の様に思い詰めて居る、午後の一時を打つ時計の音はサア潜り込む合図である。
 余は嬉しやと緑盤に手を掛けた、所が緑盤は僅かに全面の十分の一にも足らぬほど開いて其のまま止まって了った、全面の直径《さしわたし》は凡そ二尺余りも有ろうか、切めて是が七八分通りも動き、隙間が一尺五寸ほどにでもなれば潜り込む事は出来るけれど、僅か十分の一即ち二寸ぐらい開いた丈では、余は手品師でないから到底潜り込む訳に行かぬ、併し日頃自慢の大力で無理にも引き開くれば開かぬ事も有るまいと、宛かも東洋の神話に在る手力雄尊《たちからおのみこと》が天の岩戸を引き開けた様な権幕で緑盤を開けに掛かった。所が緑盤は仲々堅い、余の力も全く無益である、のみならず頓て時の鐘の響が段々に消えると共に緑盤は後戻りを始め、次第に塞がって了おうとする、幾等抵抗しても其の甲斐がない、達って抵抗して居れば余の手が秀子の被物の様に挾み剪《き》られて了うばかりである、エエ残念だと泣かぬ許りに余は手を放した、緑盤は元の通りに塞がった。
 実に合点が行かぬ、何故緑盤は是だけしか開かぬで有ろう、此の前に見た時は随分潜り込む事も出来るほど開いたのに、さては秀子が、若しや自分の後を余に追っ掛けられるかも知れぬと察して、何うか云う工合に機械を狂わせ、充分には開かぬ事に仕て了ったのか知らん、夫とも少し許り開いた所で其の中へ手でも入れ、何処かに隠れて居る錠前を脱すとか、機械の一部分を止めるとかせば旨く緑盤が脱れて了うのか知らん。
 様々に心を絞るけれど仕方がない、緑盤は全く鉄壁の有様だ、此の上は唯二時の鳴るのを待つ外はないであろう、遺憾ながら余は二時を待った、一刻千秋の思いとは此の事であるけれど、終に千秋は経た、二時は鳴った、緑盤は再び動いたけれど、悲しい哉、其の動き方は殆ど前と同じ事で唯前に比べて見れば一寸ほど余計に開いたに止るのだ、二寸に二寸、合わせて四寸の隙間とは、前よりは丁度倍であるけれど、四寸の穴からは未だ潜り入る事が出来ぬ、此の時も矢張り一時の時と同じ事で余は唯失望を重ねる許り、又も千秋二千秋の思いで三時を待ち、三時に失望して四時を待った、此の様な詰らぬ事は前後にない。
 併し三時四時と待った為に聊か発明した所が有る、緑盤は時計の鐘が一つ打つ毎に二寸位づつ動くので二時の時は一時より二寸多く開き、三時は二時
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