は怪美人を見て「貴女が塔の時計の捲き方を御存知とは不思議です、屡々アノ塔へ上った事がお有りですか」怪美人「ハイ以前は時々登りました、何しろ昔から名高い屋敷ですから、年々に荒れ果てるのを惜く、茲を斯う修復すればとか彼処を何う手入れすればとか、自分の物の様に種々考えた事なども有りました」叔父は熱心に「夫は此の上も無い幸いですよ、実は私が那の屋敷を買い取る事になりましたから、必ず貴女の御意見を伺って其の通りに手入れを致しましょう」怪美人「イエ実は先頃も甥御から事に由ると貴方がお買い取り成さるかも知れぬ様に伺いましたから、一度はお目に掛り私の知った事や思う事なども申し上げ度いと思いました」此の通り話の持てるは甚くお浦の癪は障ると見える、お浦は機さえ有れば此の話を遮り叔父と怪美人の間を引き割こうと待って居る有様で、眼の光り具合も常とは違う、叔父「孰れにしても此の後、屡々貴女へお逢い申し、又場合に依れば逗留の積りで塔へお出をも願い度いと思いますが、貴女のお住居は何ちらでしょう」怪美人は少し当惑の様で、「イエ住居は定らぬと申すより外は有りません、なれど是から大抵の宴会には招きに応ずる積りですから、貴方が交際社会へお出掛けにさえなれば、一週間とお目に掛らぬ事は有りますまい」叔父「イヤ私は更に左様な招きには応ぜぬ事にし、今まで宅に閉じ籠ってのみ居ましたが貴女にお目に掛れるとならば此の後は欠さず宴会には出席しましょう」此の丁寧な挨拶を傍から聞いて、お浦は耐え兼ね「叔父さん、其の様な勿体を附けて住居さえ明らかに云わぬ方の後を、何も追い掛るには及ばぬでは有りませんか」叔父は赫っと立腹したが直ぐに心を取り直して美人に謝し、「誠に我儘者で致し方が有りません、何うか此の女の云う事はお気に留めぬ様に」といい更に余に向ってお浦を取り鎮めよと云わぬ許りの目配《めくばせ》した、怪美人は謙遜し「イエ何に、あの様仰有るが当り前です、今の所私は少し住居を申し上げ兼ねる訳が有りまして、知らぬ方からは総て幾等か疑われます」叔父「貴女を疑うなどとは飛んでも無い、何うか何事もお気に留めず、幽霊塔に就いての貴女の設計や、時計の捲き方など充分にお知らせを願います」怪美人「ハイ夫は初めから申し上げる積りですから、必ず申し上げますが、夫にしても此の様な所では、イヤ貴方の外に何方も居ぬ時に申し上げましょう、甥御に烽サうお断り申して置きました」お浦は前よりも声荒く「叔父さん、私は黙って居度いと思っても、黙っては居られません、今の其の方のお言葉は確かに私と道さんとを邪魔にするのです、晩餐に招かれて爾して主人の方の人々を邪魔にする様な無礼は、此の節余り流行りません、ハイ私はそう邪魔にされ慣れては居ませんから、此の座に耐えて居る事は出来ません、サア道さん私と一緒に退きましょう、此のお客様が我々とは列席して下されませぬよ」と全くの悪態と為った、叔父は何れほどか腹が立ったろうけれど、日頃の気質で充分に叱りは得せぬ、只管《ひたすら》怪美人に謝まろうと努めたが、怪美人も斯うまで云われては謙遜もして居られぬと見え、突と立って虎井夫人に目配せをし、其の様な言い掛りは受けませぬ、と言わぬ有様で静々と立ち去った、折角の晩餐も滅茶滅茶に終ったが、併し其の立ち去る風は実に何とも云い様の無い気高い様である、女王の瞋《いか》るのも此の様な者で有ろうか、夫に引き替えお浦の仕様は何うであろう、余は両女の氏と育ちとに確かに雲泥の相違が有るのを認めた。怪美人は決して乳婆などの連れ子ではない。
 叔父も非常な不機嫌で、余がお浦に成り代ってお詫びする間も無いうちに室へ退いて仕舞った、後に余はお浦に向い、荒々しく叱った位では迚も追い附かぬから、無言の儘目を見張って睨み附けた、此の時の余の呼吸はお浦の顔を焼くほどに熱かったに違い無い、本統に火焔を吐くほど腹が立ったのだ、お浦は少しも驚かぬ「貴方の其の大きな眼は何の為に光って居ます、貴方は叔父さんが何れほど深くあの何所の馬の骨とも知れぬ女を見初めたかを知りませんか、貴方は本統に明き盲目です、此のまま置けばアノ女に釣り込まれて叔父さんは二度目の婚礼までするに極って居ます、爾なれば叔父さんの身代を相続する為に待って居るお互いの身は何なります」エ、益々忌わしい根性を晒け出すワ余は決して叔父の身代に目を附ける様な男で無い、相続する為に待って居るお互いなどは余り汚らわしい言い様だ、幾ら乳婆の連れ子にもせよ斯くまで心が穢かろうとは知らなんだ、若し知ったなら決して今まで一つ屋根の下には住まわれぬ、余りの事に余は呆れて猶も無言のまま睨んで居たが、お浦は忽ち椅子を攫《つか》み、悔し相に身を震わせて「エ、憎い、憎い、アノ女は取り殺しても足らぬ奴だ、道さん見てお出で成さい、アノ女が猶も貴方や叔父さんに附き纒うなら、私は屹《きっ》と殺して禍いの根を留めますから」と云った、何もアノ女が余や叔父に附き纒っては居ぬ、若し附き纒って居るとすれば余や叔父の方がアノ女に附き纒って居るのだ、併し余はお浦の怪美人を殺すと云う言葉が全く真剣と云う事は此の後|面前《まのあた》り事実を見るまで信じ無かった、信じはせぬが併し余とお浦との間は是ぎりで絶えて仕舞った、余は勿論お浦は厭、お浦も厭で幸いと云う程だろう。

第八回 古山お酉

 折角の晩餐が斯う殺風景に終ったは実に残念だ、けれど今更仕方がない、余は兎も角も怪美人と虎井夫人とに逢い充分謝せねばならぬと思い、お浦を捨て置いて怪美人――イヤ最早怪美人ではない単に松谷秀子だ――其の松谷秀子の居る室の前まで行った、何と云って謝した者か、事に由ればお浦を狂女だと言い做しても好い、あの今夜の振舞は狂女よりも甚しい、爾だ狂女とでも言わねば到底充分に謝する道はない、と斯う思って少し戸の外で考える間に、中浦から異様な声が聞こえた。確かに松谷秀子と虎井夫人とが争って居る。「イイエ、貴女が何と仰有っても嘘を吐いたり人を欺いたりする事は私には出来ません。正直過ぎて夫が為に失敗するなら失敗が本望です」と健気《けなげ》にも言い切るは怪美人だ、扨は虎井夫人から余り正直すぎるとか何故人を欺さぬとか叱られて、夫に反対して居ると見える、何と感心な言葉ではないか、正直過ぎて失敗するなら失敗が本望だとは全く聖人の心掛けだ、余は一段も二段も怪美人を見上げたよ、次には虎井夫人の声で「場合が場合ですもの少し位は嘘を吐かねば、其の様な馬鹿正直な事ばっかり言って何うします」怪美人「イエ何の様な場合でも同じ事です、若し私の馬鹿正直が悪ければ是で貴女と分れましょう、貴女は貴女で御自分の思う様にし、私は独りで自分の思う通りにします、初めから貴女と私とは目的が別ですもの」斯う争って居る仲へ、日頃から懇意な人ならば兎も角、今日初めて逢った許りの余には真逆に飛び込んで行く訳に行かぬ、さればとて探偵然と立ち聞きをして居るのも厭だから、謝するのは明朝にしようと思い直し余は自分の室へ帰った、多分は叔父も明朝を以て篤と謝する積りで居るのであろう。
 翌朝は少し早目に食堂へ行って見た、お浦も早や遣って来て居たが、勿論余とは口を利かぬ。何でも給仕に金でも与えて、怪美人の素性を聞き糺して居たらしい、何だか余の顔を見て邪魔物が来たと云う様な当惑の様子も見えたが給仕は更に構いなく「ハイお紺婆を殺した養女お夏というは牢の中で死にましたが、同じ年頃の古山お酉と云う中働きが矢張り時計の捲き方を知って居た相です」お浦は耳寄りの事を聞き得たりと云う様子に熱心になり「その古山お酉とは美しい女で有ったの」給仕「ハイ之は最う非常な美人で、イヤ私が此の家へ雇われぬ先の事ゆえ自分で見た訳ではありませんが人の話に拠ると背もすらりとして宛《まる》で令嬢の様で有ったので、村の若衆からも大騒ぎをせられ、其の中に一人情人が出来たそうです、爾してお紺の殺される一ケ月ほど前に色男と共に駈落し、行方知れずに成って居たが、お紺の殺された後故郷|※州[#「※」は「あなかんむり+乙」、28−上21]《ウェールス》に居る事が分り其の色男と共に裁判所に引き出されてお調べを受けましたが、遠い※州[#「※」は「あなかんむり+乙」、28−上22]に居て此の土地の人殺しは関係の出来る筈もなく、唯証人として調べられたのみで直ちに放免せられました、何でも其の後色男と共に外国へ移ったと云う事です。今頃は米国か濠洲《おうすとらりや》にでも居るのでしょう」お浦「随分其の女は貴婦人の真似でも出来る様な質だったの」給仕「ハイ不断貴夫人の様に着飾ると、田舎者などに感心せられるのを大層嬉しがって居たと云う事です」お浦「今居れば幾齢ぐらいだろう」給仕「お紺婆の殺された時、十九か二十歳だったと云いますから今は二十五六でしょうが、併し美人に年齢無しとか云いますから矢張り若く見えて居る事でしょう」
 お浦は是だけで満足したか、問うのを止めて余の傍へ来て、最と勝ち誇った様子で「今の話を何と聞きました」余「何とも聞きませんよ」お浦「道さん、貴方の尊《うやま》う貴婦人は立派な素性です事ねエ。中働きの癖に情夫を拵えて出奔して、爾して古山お酉と云う本名を隠し松谷秀子などと勿体らしい名を附けてサ」余「エ、貴女は怪美――イヤ松谷嬢を其のお酉とやらだとお思いですか」お浦「私が思うのでは有りません、今は其のお酉より外に時計の捲き方を知った者もないと云うでは有りませんか、爾して松谷令嬢、オホホ大変な令嬢です事、其の令嬢も昨夜叔父さんに問い詰められ、以前に幾度も幽霊塔へ上ったと白状したでは有りませんか、同じ人でなくて何ですか」若し此の疑いの通りとせば真に興の醒めた話で有る、成る程アノ義母殺しの輪田夏子の墓へ参詣した所を見ると或いは此の疑いが当るかも知れぬ、仲働きを勤めて居て主人の養女夏子とは懇意で有った為、昔の事を思い出して参詣したのか、斯う思えば一言も無いけれど、余は何故かアノ怪美人を仲働きなどの末とは思わぬ、何となく別人の様な気がする、全体余は至って直覚の明らかな生まれ附きで、今まで斯うだろうと感じた事は余り間違った例がない、此の松谷秀子を古山お酉とやら云う仲働きと別人だと思う感じも、決して間違う筈がない、と自分だけは斯う思う。
 併し別に争い様もないから、無言の儘で、何とかお浦の疑いを挫く工夫は有るまいかと、悔しがって居ると、丁度叔父朝夫が這入って来た、叔父は甚く落胆の様子で「ア、今朝篤と松谷秀子嬢に逢い、昨夜の詫びも云い更《あらた》めて時計の秘密を聞き度いと思い其の室を尋ねたら、虎井夫人と共に早朝に此の宿を立った相だ、爾して行く先も分らぬ」お浦は益々勝ち誇って「爾でしょうよ、昔の素性を知った人が多勢居る土地に、そう長居は出来ぬ筈です」と独語の様に云い、更に余に向って「道さん、夜逃げよりも朝逃げの方が、貴方のお目には貴婦人らしく見えましょうネエ」何方まで余を遣り込める積りだろう、併し余は相手にせず、食事の終るまで無言で有ったが、頓て叔父は余に向い「来た序でだから是より幽霊塔の中を見て来よう」と云い、共々に出かける事とは成ったが、本統に幽霊塔を昼の中に検査するのは是が初めてだ、検査の上で何の様な事を発見するかは烱眼な読者にも想像が届くまい。

第九回 丸部家の咒文

 愈々幽霊塔の検査に行く事と為って、余は一番先に此の宿の店先まで出掛けた、叔父とお浦は未だ出て来ぬ、多分は叔父がお浦に向い、昨夜の小言を云って居るので有ろう、余の居る所で小言を云うのを余り気の毒だと思い、故と余を先へ出したらしい。
 余は待ちながら帳場に在る客帳を開いて見た、見ると松谷秀子と虎井夫人との名が余の直ぐ前へ記《つ》いて居る、即ち二人は余等より一日先に此の宿へ来た者だ、此の宿ではタッた二晩しか泊らなんだのだ、余は若しや此の客帳の字と昨夜の贋電報の字と同じ事では有るまいかと思い、能く能く鑑定して見たが全く違って居る、客帳のは余ほど綺麗な筆蹟で珍しい達筆と云っても好い、多分怪美人が自分で書いたので有ろう、仲々電報の頼信紙に在った様な悪筆では無い、余は猶帳場の者に少し鼻
前へ 次へ
全54ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
黒岩 涙香 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング