室の中に、丁度其のお紺の寝たと云う寝台の上に、唯一人で居たのが怪しい、第二には此の世に知った人の無い秘密、即ち時計の捲き方を知って居るのが怪しい、第三に、故《わざ》々其の時計を捲いたのが怪しい、余は初めに其の顔の美しさに感心し、外の事は心にも浮かばずに居たが、追々斯様な怪しさが浮かんで来た、猶此の外に怪しい箇条が有るかも知れぬ、怪しんで暫し茫然として居ると、塔の時計が鳴った、数えると七時である、自分の時計を出して眺めると如何にも七時だ、美人は余の怪訝な顔を見て、可笑しいのか「ホ、ホ」と笑み「塔の時計の合って居るのが不思議ですか」と余を揶揄《からか》う様に云った、其の笑顔の美しさ、全体此の様な辺鄙な土地へ是ほどの美人が来て居るのさえ怪しいと云う可しだ。
「貴女は全体何者です」と余は問い度《た》くて成らぬが、美人の優れた顔と姿とを見ては其の様な無躾な問いは出ぬ、咽喉の中で消えて仕舞う、総《すべ》ての様子総ての振舞が何と無く世の常の女より立ち勝り、世に云う水際が離れて居るから、余は我にもあらで躊躇して、唯|纔《わずか》に「貴女は何故に塔の時計をお捲き成されました」と問うた、美人「ハイ多分斯う
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